2019年2月2日土曜日

映画で朝鮮戦争を観て

朝鮮戦争について
 1945年、第二次世界大戦で日本が降伏した後、朝鮮半島は38度線を境に米ソにより分割占領され、統一についての話し合いが進められましたが、米ソの冷戦が激化していく中で、1948年に李承晩による大韓民国(韓国)と金日成による朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが独立し、分裂は不可避となっていきます。さらに1949年に中華人民共和国が成立し、アメリカが支援する中国国民党が台湾に亡命政府を建てると、東アジアの国際関係は一気に緊張します。朝鮮戦争の原因は繰り返し論じられてきましたので、ここでは深入りしません。ただ、3年間の戦争で、民間人を含めて何百万人もの人が死亡したとされます。
 1950625日に北朝鮮軍が38度線を突破し、戦争が勃発します。戦争準備をしていなかった韓国軍は総崩れとなり、早くも628日は首都ソウルが陥落、国連軍も敗退を重ねて釜山にまで追い詰められ、韓国政府は一時日本の山口県に亡命政府を建てることを検討したほどです。しかし、915日にアメリカ軍が仁川に上陸して北朝鮮軍を分断すると、北朝鮮軍は敗走し、928日にはソウルを奪還、107日に38度線を突破し、まもなく鴨緑江付近に達します。ところが、1019日中国軍が鴨緑江を渡り、以後「アメリカ陸軍史上最大の敗走が始まり、195114日には再度ソウルを奪われます。しかしアメリカ軍は体勢を立て直し、2月には再びソウルを奪還、北朝鮮・中国軍を38度線まで押し戻し、ここで戦争は膠着状態となります。

 この戦争は、短期間で戦線が南北に激しく移動したため、アコーディオン戦争とも呼ばれましたが、数百万人が死亡した悲惨な戦争についてこうした呼び方をするのは不謹慎かもしれません。なお死者の数については、民間人の死者についてははっきりせず、さらに両軍とも一般住民を何十万人も虐殺しており、この数がどの程度反映されているかがわかりませんので、かなりいい加減の数字となっています。また、中国軍はアメリカの近代兵器に対して人海戦術で戦いましたので、その死者の数は膨大だったと思われます。

戦火の中へ
 2010年に韓国で制作された映画で、朝鮮戦争初期の一つの戦闘を扱っています。映画は、韓国軍によって学徒動員された少年が、母に送ったという手紙を元にして制作されたそうで、史実に基づいているそうです。











 映画の舞台になったのは、1950811に起きた浦項(ポハン)女子中学校で起きた戦闘です。開戦後1カ月余りで韓国軍は釜山にまで追い詰められますが、ここで韓国軍は反撃にでるため分散した兵力を終結させます。しかしそのことで戦略上の拠点である浦項に駐留していた部隊も移動することになり、部隊本部を置いていた女学校の校舎の防衛には71名の学徒兵を充てることとなりました。360名来るはずだった学徒兵は71名しか来ず、ほとんどが戦闘経験もなく、小銃の打ち方も知りませんでした。その中でリーダーに任命されたのはオ・ジャンボムで、彼は無口でおとなしい少年でしたが、唯一戦闘経験があったため選ばれました。そして映画はジャンボムの母への手紙を朗読する形で進められます。
 少年兵たちは統率された軍隊の経験がないため、喧嘩し仲間割れを繰り返しながら、戦闘の準備を進めていきます。周囲の偵察の過程で、北朝鮮軍の少年兵を殺害しました。これを観たジャンボムは、母に書きます。「北の軍人を殺しました。北の軍人には角がはえていると思っていましたが、北の軍人の最後の言葉は、僕と同じ、「母さん」でした」と。やがて北朝鮮軍が校舎の攻撃を開始し、8時間にわたって校舎を守り、撤退する時には47人が戦死していました。その結果、一時浦項は北朝鮮軍によって占領されますが、翌日米軍の爆撃と艦砲射撃で廃墟となります。

この映画をどのように捉えたらよいのでしょうか。北朝鮮の残虐性を強調すべきか、学徒兵たちの英雄的戦いを賛美すべきか。残虐性という点では韓国も似たようものである、学徒兵については、このような少年たちが銃をもって戦わねばならない状況そのものに嫌悪します。結局は、一部の権力者の野心が、多くの人々を巻き添えにした、ということでしかないように思います。

西部戦線1953
2015年に韓国よって制作された映画で、休戦協定成立直前の、一人の韓国兵と一人の北朝鮮兵の出会いを描いています。邦題の「西部戦線」は意味不明で、出会った場所が西部戦線だったというだけのことだと思います。原題は、「家に帰ろう」です。
朝鮮戦争は、連合軍がソウルを奪回した19512月ころから、38度線を境に膠着状態になっていました。北朝鮮も韓国も、相変わらず自国による半島統一を主張していましたが、人的物的損失があまりに膨大だったため、少しずつ休戦会談開催の機運が生まれ、同年6月には北朝鮮のスローガンが、「敵を海に追い落とせ」から「敵を38度線に追い払え」に変更されます。その結果休戦会談が開催され、その後ゆっくりと断続的に会談が開催され、1953727日に休戦協定が締結されます。そして映画は、その19537月における38度線近辺を舞台としていました。この当たりでは、当時まだ各地で断続的に戦闘が続いていました。
韓国軍伝令隊のナムボクは、40歳代の貧しい農民で、妻が子を出産する直前に、子の顔を観ることなく、徴兵で駆り出されます。そしてある機密書類を届ける任務を与えられますが、途中で敵の攻撃を受け、機密書類をなくしてしまいます。一方、北朝鮮戦車部隊ヨングァンは、まだ10代の学徒兵で、彼は7人兄弟の末っ子で、上の6人の兄がすべて戦死していました。彼の舞台は韓国軍の爆撃で全滅し、ただ一人生き残ったヨングァンは上官から必ず戦車を守れと命令され、戦車で北へ戻ろうとしていました。そして彼はたまたまナムボクが失った重要機密書類を拾います、
それを知ったナムボクはヨングァンにつきまとい、書類の返却を要求します。こうして南北の親子ほど歳の違う二人の兵士が、ぼろぼろの戦車で美しい田園地帯を右往左往します。ドラマはコメディタッチで、二人は喧嘩したり仲直りしたりしながら、進行していきます。この間どのくらいの日数がたっているのか分かりませんが、いよいよ727日を迎えます。この日、二人は「家に帰ろう」と言って別れます。ところが韓国の部隊は北の戦車がうろうろしているのを発見し、ちょうど休戦協定が発効する頃、大砲で戦車を破壊し、ヨングァンは死亡します。そしてナムボクは、自分の子供にヨングァンという名前を付けることを誓って、故郷に帰って行きます。
映画は、美しい映像で戦争をコミカルに描いており、それはこの戦争に対する痛烈な批判でした。映画では、美しい映像とともに、笑い転げるような場面と、もの悲しい場面が共存し、大変よい映画だったと思います。

高地戦
2011年に韓国で制作された映画で、原題は“The Front Line”です。この映画は、休戦協定直前の陣地戦を描いており、おそらく休戦協定の第5条63「本停戦協定のすべての規定は、1953年7月27日の22時に効力を生ずる」という一文から生まれたものと思われます。休戦協定が調印されたのは午前10、協定が発効するのが午後10時で、この12時間の間にすさまじい陣地戦が展開され、悲惨な結末を迎えることになります。
休戦会談が開催されてからすでに2年がたっており、なかなか協定が成立しませんでしたが、両陣営とも分割ラインを有利にするため、38度線近辺で領土の奪い合いをしていました。この映画では、東部戦線におけるエロック高地という架空の高地が舞台となっています。この高地を巡っては、両軍が何十回も占領したり、されたりを繰り返していました。映画では、その過程でさまざまなエピソードが語られますが、その中で印象に残ったエピソードを二つだけ述べておきたいと思います。
一つは、北朝鮮軍に「凄腕の狙撃手がおり、韓国兵に2秒」と呼ばれて恐れられていました。「2秒」というのは、680メートルの距離から狙撃し、弾が届いてから2秒後に音がするのだそうです。そして、実はこの狙撃手は女性でした。映画では語られませんでしたが、おそらく彼女にも辛い過去があったのでしょう。もう一つは、韓国軍の中に、前に観た「戦火の中へ」の舞台となった浦項(ポハン)の戦いの生き残りがいました。「戦火の中へ」では、兵士たちが幾分英雄的に描かれていましたが、実際には相当凄惨な戦いだったようで、精神錯乱を起こす兵士がいたり、中には味方の兵士を射殺する兵士もいたそうです。こういうトラウマをもつ兵士は、危機的状況に置かれると、何をするか分かりません。もっとも、長い戦いで、北にも南にもトラウマを負う兵士は沢山いたでしょう。
北と南の兵士は互いに殺し合い、陣地を占領したり占領されたりしていましたが、そんななかでも彼らの間に奇妙な共感が生まれていました。そして1953727日午前10時に休戦協定が調印され、両軍の兵士たちは大喜びしました。ところがまもなく補足条項が明らかになり、それによれば協定の発効は12時間後の午後10時ということになっていました。もちろんこうした補足条項は、すべての戦線で同時に戦争をやめることは困難ですから、ある程度猶予をおいて、周知徹底させてから発行するという意図があったのだと思いますが、実際に起きたことは、まったく逆でした。

両軍とも、この12時間の間にできる限り陣地を増やし、領土を増やして休戦したいため、総攻撃の命令がでたのです。兵士たちはうんざりしていましたが、命令に従うほかありません。戦争が終わった後、高地には死骸の山が累々と築かれていました。この高地自体は架空の存在ですが、多分38度線近辺のあちこちで、似たような戦いが行われ、多くの人々が無駄に命を失っていったことでしょう。何という馬鹿々々しい戦争だったのでしょうか。

黒水仙
2001年に韓国で制作された映画で、朝鮮戦争からおよそ50年後に起きた二件の殺人事件をきっかけに、朝鮮戦争中に巨済(コジュ)島で起きた出来事が暴かれていく、という話です。

























巨済島は、韓国では済州(チェジュ)島に次ぐ二番目に大きな島で、朝鮮戦争中にここには北朝鮮軍の捕虜収容所があり、最大で15万人以上の捕虜が収容されていたそうですが、休戦とともに収容所は閉鎖され、現在は記念公園になっているそうです。この収容所では、捕虜同志の乱闘や大規模な脱獄事件があったそうです。映画では、脱獄者を助けるために北朝鮮から派遣されたスパイがジヘという名の女性で、暗号名が黒水仙です。以前にチベットの修道女を扱った映画「黒水仙」を紹介しましたが、彼女の暗号名はそれに因んだものと思われます。「映画で観る二人の尼僧 黒水仙」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/03/blog-post_14.html) 
 ジヘはソクという名の小作人に助けられ、脱走者の救済活動を行っていましたが、ソクは命をかけて献身的にジヘを守り、やがて二人の間に愛が芽生えます。二人が軍隊に追い詰められた時、ソクは囮となってジヘを逃がし、自らは捕らえられます。そして50年後ようやくソクは釈放されますが、その直後にソクを捕らえた二人の元看守が殺害されます。映画は、その犯人が誰かということを追求するミステリー映画ですが、これは歴史とは関係ないので触れません。
 この映画が制作されたのは、金大中(キムデジュン)が大統領だった時代で、ようやく韓国に民主化が定着した時代でした。また金大中は初めて北朝鮮を訪問し、北朝鮮との緊張緩和に努めました。そうした時代に、韓国の人々は、北朝鮮や朝鮮戦争をある程度客観的に見つめようになったのではないかと思います。
 なお、映画で犯人捜査のため刑事が日本の宮崎を訪問し、一通り宮崎の観光案内をしていますが、なぜか宮崎の町の中を舞妓さんが歩いていました。

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