2011年にスペインで制作された映画で、フランコ独裁体制下で行われた女性に対する迫害を描いたもので、久々に胸を引き裂かれるような内容の映画を観ました。原作者は、実際にフランコ体制下で迫害され生き残った人々から聞き取り調査に基づいて原作を著し、「この映画をすべての女性に捧げる、無言で泣いた女性、拘束され殺害された女性に」と述べています。
スペイン戦争とフランコ独裁体制については、このブログでもしばしば扱いました。
「映画「サルバドールの朝」を観て」
「「スペイン戦争 ジャック白井と国際旅団」を読む」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/03/blog-post_25.html)、
「「バスク大統領亡命記」を読んで」
「「子供たちのスペイン戦争」を読んで」
スペイン戦争は、スペインにとっても世界の民主勢力にとっても、民主主義のための戦いでした。そうした中で、ピカソはドイツによる爆撃を批判して「ゲルニカ」を描き、ヘミングウェイは自ら義勇兵として参加し、その経験をもとに「誰がために鐘は鳴る」を著しました。さらにアメリカ在住の日本人まで、この戦争に参加しました。しかし、結局スペインでは民主主義は敗北し、36年間に及ぶ独裁の時代が続くことになります。
フランコの独裁が終わった後も、内戦とその後の独裁の時代について、勝った側も負けた側も、抑圧した側も抑圧された側も、決しておおくを語りませんでした。心に受けた傷があまりに大きかったからです。「サルバドールの朝」の父は、内戦後心を閉ざしてしまいます。この映画でも、主人公は「あの内戦とその後のすべては、決して起きるべきではなかった」と述べています。 しかし少しずつ、実際に何が起こったのかということについて、語られるようになってきました。「子供たちのスペイン戦争」では、戦争における子供たちの悲惨な姿が描かれていました。そしてこの映画では、悲惨な運命をたどった女性たちの姿が描かれます。
1939年に戦争が終わった後、共和派として戦った人々は、徹底的に粛清されます。見つかればその場で射殺されるか、逮捕されて拷問され、ほとんど裁判もなしに銃殺されました。女性についても、本人が共和派であればもちろん、夫や家族が共和派というだけで、あるいは理由もなくただ疑われただけで、逮捕され銃殺されました。女子刑務所にはそうした女性が溢れていました。当時、カトリック教会はフランコを支持しており、反フランコ派は皆共産主義者と考えていました。そして女子刑務所を管轄していたのは修道女で、彼女たちは共産主義者を憎悪していました。スペイン人のほとんどが敬虔なカトリック教徒でしたが、こうしたことを経て、カトリックから去っていく人々も多くいました。
時代は1940年の末、戦争が終わってから2年近くがたっていました。場所はマドリードの女子刑務所です。オルテンシアは夫ともに反フランコ活動を行って逮捕され、夫フェリペは重傷を負って山に逃れ、妻は妊娠していました。そうした中で、故郷から妹ペピータが、姉を助けるためやって来ます。オルテンシアは強い意志をもった女性で、独裁政権に屈する意思はなく、処刑を覚悟していました。それに対してペピータは敬虔なカトリック教徒で、死んでも主義を貫こうとする姉の気持ちを理解できず、ただおろおろするのみでした。しかし姉を助けるために手を尽くしたり、姉の組織の人々と密かに接触したりしている内に、彼女もしだいに強くなっていきます。
この間に、形ばかりの裁判でオルテンシアの処刑が決定されますが、処刑の執行が出産後まで延期されました。今や彼女の唯一の希望は、妹に子供を育てて欲しいということ、そしてわが子に母がなぜ死んでいったかを伝えてほしい、ということでした。ペピータは姉の娘を引き取って育てますが、当面、姉がそのために命をかけた自由な社会は訪れることはありませんでした。独裁政権が崩壊するのは、これより34年後であり、当面はまったく希望を見出すことはできませんでした。映画は最後に、オルテンシアの娘が母への思いを語って終わります。こうした悲劇は、スペイン戦争と独裁の時代を通じて、数えきれないほどあったに違いありません。まだ証人が生きているうちに、少しでも多くの事実を発掘し、記録しておくことが大切だと思います。
今までにスペイン映画を何本か観ましたが、どれもよくできた映画でした。
「映画「アレクサンドリア」を観て」
「映画宮廷画家ゴヤは見た」を観て」
映画「アラトリステ」を観て
その外にも良い映画が沢山制作されていると思いますが、残念ながら、私自身に情報がありません。
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