2017年7月15日土曜日

映画「チャタレイ夫人の恋人」を観て

 この映画は、1995年にイギリスで製作された映画で、D.H.ロレンス原作の同名の小説(1928)を映画化したものです。ロレンスが生まれ育ったのはイングランド中部の貧しい炭鉱の町で、彼の父はその炭鉱の労働者でした。ロレンスは二十歳ころから小学校の教員を務める傍ら小説を書き始め、三十歳代には高名な小説家となっていました。
ロレンスの代表作「チャタレー夫人の恋人」の舞台は、彼の故郷の炭鉱町で、時代は1922年です。1919年に第一次世界大戦が終結しましたが、どの国も甚大な被害を被り、国内では労働運動が頻発していました。チャタレー卿は、第一次世界大戦で負傷して下半身が不随となり、性的にも不能となりました。また彼は、炭鉱が存在する領地を所有しており、労働者に対して無慈悲な経営者でした。そのような夫に対して、チャタレー夫人であるコニーは不満を募らせていきます。一方、チャタレー卿は名門貴族であり、子孫を残す必要がありましたので、コニーに他の男性と子をもうけるよう求めます。
コニーは、夫に献身的に仕えていましたが、自分が子をつくるためだけの存在であること、労働者を人とも思わぬ夫の態度に不満を募らせ、コニーは新しく雇われた森番のメニーズと関係をもつようになります。ここで性欲と愛との関係が問題となりますが、しだいにコニーはメラーズを愛するようになり、夫を疎ましく思うようになります。やがてコニーはメラーズの子を身ごもり、夫に離婚を求めますが受け入れられず、結局彼女は夫のもとを去っていきます。
本書が特に話題となったのは、コニーとの詳細な性描写のためでした。本書は出版された当時からいろいろ迫害されましたが、日本でも猥褻として訴えられ、「チャタレイ事件」として話題となりました。私には「猥褻」とは何かについて論じることはできませんが、この裁判の最高裁の判決を引用しておきます。「わいせつの判断は事実認定の問題ではなく、法解釈の問題である。したがって、「この著作が一般読者に与える興奮、刺戟や読者のいだく羞恥感情の程度といえども、裁判所が判断すべきものである。そして裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。この社会通念は、「個々人の認識の集合またはその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによって否定するものでない」こと原判決が判示しているごとくである。かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。」(ウイキペディア)。何か分かったようでよく分からない判決でした。

 私は原作を読んでいないので、本書における性描写がどのようなものなのかは分かりませんが、映画では性描写は抑え気味で、さまざまな矛盾に葛藤する一人の女性の姿が、美しく描かれているように思いました。


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