2016年10月5日水曜日

「蒼頡たちの宴」を読んで


武田雅哉著、1994年、筑摩書房
 本書には、「漢字の神話とユートピア」という副題がついています。このブログの「「図説 漢字の歴史」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html)でも触れましたが、漢字は蒼頡(そうけつ)という四つ目の天才によって生み出されたという「神話」があり、以後数千年に亘って、形を変えつつも、今日まで使用されています。しかし漢字は、極めて難解であり、筆者によれば、中国人はこの偉大なる「マゾヒズム装置の快楽と苦痛」を味わってきた、ということになります。また、漢字の発明によって人類がこざかしくなった、という意見は、古くからあったようです。
 中国には、さまざまな言語や方言がありますが、どの地方でも漢字で書いた文章を読むことができ、大変便利です。しかし地方の人々は漢字の文書を理解できても、発音する場合には、それぞれの言語・方言で発音します。そこで問題なのは、外来語を中国の漢字の音で表記した場合、地方の言語・方言で発音すると、別のものになってしまうということです。そこで古くから、別の文字を生み出す試みがなされてきました。特にインドやヨーロッパの簡便な表音文字に接して、その影響を受けて様々な試みがなされてきました。こうした試みを行う人は、自ら文字の発明者、つまり第二の蒼頡になろうとする人々です。
 本書は、中国の長い歴史の中で繰り返された第二の蒼頡たちの物語で、そこから「蒼頡たちの宴」というタイトルが生れました。結局、この試みはすべて失敗に終わり、現在漢字が多少簡略化されてはいますが、文字体系としての漢字は今日も使用されています。文字の難解さが文盲率を高めるという主張が度々なされますが、文字の簡単なインドでは文盲率が高いし、複雑な文字体系をもつ日本では文盲率が低い分けですから、文盲率の低さを文字のせいにする分けにはいきません。
「これまでつき合ってきた蒼頡たちのすべてが、壮大な冗談を、自らはニコリともせず、徹底的に真面目な顔をして演じてみせる、世界最高の名喜劇役者のように思われる。……漢字に苦しめられていると訴えつつ、それを楽しんでいる。漢字を捨てるべきだと騒いでいながら、捨てようとする過程の苦痛を快楽に変換し、絶対に捨てようとはしない。漢字を常に苦痛と快楽の源泉としながら、そのはざまの閉じた空間に居座って、かれら蒼頡たちは、「漢字」があればこそ快楽が約束される「非漢字」という文字遊戯にふけっている……。」


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