2015年7月8日水曜日

アメリカ黒人奴隷の歴史を読んで

「アメリカ黒人の歴史」

ベンジャミン・クォールズ著(1987)、明石紀雄・岩本裕子・落合明子訳 明石出版(1994)
 アメリカの黒人奴隷に関する本は、過去にも何冊も読みましたので、本書に描かれていることは、概ね知っている範囲内のことでした。ただ本書は、単に奴隷の悲惨さや不当性について述べるだけでなく、アメリカの歴史において黒人が果たした役割を体系的に述べています。アメリカの生産のあらゆる分野で黒人が果たした役割、独立戦争や南北戦争で黒人が果たした役割、そして奴隷制問題を議論していく過程でアメリカの民主主義の発展に果たした役割などが述べられます。内容は多岐にわたりますが、宗教が奴隷制の発展に果たした役割に触れてみたいと思います。
 1619年に初めて20人の黒人がヴァージニアに連れてこられましたが、彼らは奴隷ではありませんでした。当時の法によれば、キリスト教に改宗した奴隷には選挙資格が与えられることになっていました。不信心者はキリスト教徒になるべく奴隷とされたのであるから、彼らが改宗するならばもはや身分を拘束しておく根拠がなくなるということです。中南米でも、先住民を改宗させることがスペイン人の第一の義務であり、一応建前上は先住民を奴隷とすることはできませんでした。
 しかし労働力に対する需要はますます高まって行きます。初めは白人に対して行っていた年期奉公人という形を黒人にも適用しましたが、この場合年期が明ければ解放せねばなりません。17世紀後半になると、洗礼が奴隷の自由を意味するなら、奴隷の所有者は黒人への洗礼を拒むことになり、そのため教会からもこの制度に対する反対が起こってきました。結局、植民地議会は、「奴隷であれ、自由人であれ、洗礼はそれを受ける人の地位を変えるものではない」という決定を下します。

 そして奴隷制が定着すると、「奴隷は皆、白人は神の命令で支配していること、そして、この白人神授説に疑問を唱えることは……神の怒りを招くと、教えられた。奴隷の状況は天の主人の御意志の成就したものであると告げられた」という考えが普及し、教会も奴隷制の普及に一役買っていたのです。中南米でもでも同じように、教会はインディオに「地主に逆らうことは、神に逆らうことである」と教えていました。


「数奇なる奴隷の半生」

フレデリック・ダクラス著(1845)、岡田誠一訳、法政大学出版局リブラリア選書(1993) 。フレデリック・ダグラス(1818-95)は、メリーランドで奴隷の子として生まれ、1838年に20歳の時に北部へ逃亡し、その後、奴隷解放運動に身を投じます。そして1845年に本書を出版し、大変な評判となりました。
 本来、奴隷が読み書きを覚えることは厳しく禁じられていましたが、彼は主人に隠れて読み書きを覚えました。また奴隷の脱走は非常に困難であり、命がけの行為でしたが、彼がいたメリーランドが自由州に近かったことにも助けられ、脱走に成功します。彼の文章は、感情の高ぶりを抑えた淡々とした名文で、それだけに一層人々の心をとらえました。私は過去に、アメリカ黒人奴隷に関する本を何冊も読み、また映画も観ました(「映画でアメリカを観るhttp://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/01/2.html)。そしてこれらの作品にも本書からの引用が多数あったはずですので、内容的には知っていることが多かったのですが、それでも直接その文章を読むと、心を打たれます。
 以下に、印象に残った部分を2カ所だけ引用します。
 
 頭に浮かんだ考えは―たとえ言葉ではなくとも、音に現れたのだ。また、音と同じ頻度で言葉に現れたのだった。彼らは時々、最も熱狂的な調子で最も悲しい感情を唄い、また、最も悲しい調子で最も熱狂的な感情を唄ったものだった。


 その休日は、奴隷制の最もひどい欺瞞、不道徳、残酷さの、肝心かなめの部分と言ってよい。それは表面上は奴隷所有者の慈悲心によって作られた習慣なのだ。だが、それは利己心の結果であり、虐げられた奴隷になされた最もひどい欺瞞の一つだ、と私は請け合って言う。奴隷所有者が奴隷たちにこの時間を与えるのは、この期間は奴隷たちに働いてもらいたくないからではなくて、奴隷たちからそれを奪うのは危険だろうとわかっているからだ。このことは、奴隷たちがまさにその休日が始まるのを喜ぶのと同じように、終わるのを喜ぶよう、奴隷所有者たちは奴隷たちにその休日を過ごさせたいと思っている、という事実によってわかるであろう。彼らが目指すことは、奴隷たちを遊興の最も深い深みへと陥れることによって、「自由」にうんざりさせることであるようだ。たとえば、奴隷所有者は、奴隷が自発的に酒を飲むのを見たいと思うばかりでなく、奴隷を酔っ払わせるためにさまざまな計略を取り入れるであろう。ある計略に、誰が酔っ払わずに一番多くのウィスキーを飲めるかもということで奴隷に賭ける、というのがある。こうして彼らは多数の奴隷たちみんなに過度に飲ませることに成功するのだ。したがって、奴隷が高潔な自由を求めるときには、奴隷の無知を知っているずるい奴隷所有者は、自由という名前のラベルを貼ったひどい遊興を一服与えて、彼を欺くのである。私たちの大多数の者はそれを飲み下したものだった。そして、その結果は想像される通りだったのだ。私たちの多くは、自由と奴隷制の間にはほとんど選ぶところがないと、考えさせられたのである。私たちは、ラム酒の奴隷でも、人間の奴隷でもほとんど変わるところがない、と考えたが、それはまったく的を射たことだったのである。したがって、休日が終わると、私たちは酒に溺れていた堕落な状態からよろよろと立ちあがり、深呼吸し、主人が私たちをだまして自由だと思い込ませていたものから、奴隷制の腕の中へと戻って行くのを、概して、むしろ喜びながら、畑へと進んで行ったのである。


「奴隷文化の誕生」

トーマス・L・ウエッバー著(1978)、西川進監訳・竹中興慈訳、新評論(1988)
 本書には「もうひとつのアメリカ社会史」というサブタイトルがついており、奴隷制社会における黒人コミュニティーを、文化人類学的な手法で描き出しています。資料としては、前に述べた「数奇なる奴隷の運命」のようにかつて奴隷だった人物が書いた自伝などがありますが、こうした資料は奴隷制の残忍さを強調する傾向があります。それに対して、奴隷制度時代や解放後に、奴隷やかつて奴隷だった人々に多くの「聞き書」が行われ、それらがふんだんに利用されます。
 白人は、奴隷が従順で勤勉であるように教育しますが、その教育はほとんど役に立っていませんでした。黒人のコミュニティーの中で独自の文化が形成され、その文化が子供たちに伝えられていきました。「アメリカの奴隷制下の文化は深い河にたとえることができる。偉大なアフリカの水源をその源としているが、この絶えず移動し、常に変化する河は1850年代までにははっきりとしたアメリカ的な姿となって現れた。新しい土地の中に深く流れ込みながら、その河はアメリカの風景に溶け込み、また河が接したそれぞれの岸辺は形を変えた。それは決してアフリカ的伝統の底流を涸らすことはなかった。それは黒人にとっては心を癒す河だった。その水は彼らを再び元気づけ、苦痛に満ちたアメリカの環境から逃れるのを助けた。抑圧された奴隷にとって、彼の文化は深い河のようなものだった。酢の水の中に沈潜することは、自分の文化の独自性と親しむことであった。」
 「すくなくとも、四つのテーマ―共同性、真のキリスト教、黒人の卓越、霊的世界―は白人権力というテーマの無制限な表現と直接対立するものである。奴隷は、彼らが個々の策略をめぐらすことだけでなく、基本的には黒人宗教の神を含む者であるが、霊力の助けや他の奴隷の助けによって白人権力とたたかうことができると思った。神の偉大な力と奴隷制に対する神の断固とした反対を確信することによって奴隷居住区は、神の究極の摂理においては白人権力が無力であることに気づいた。さらに奴隷居住区共同体の奴隷は、特に夜や余暇の時間に白人たちが影響を及ぼそうとしてもほとんど及ぼしえない、奴隷自身の組織を作りだすことができた。」
 黒人は厳しい労働と懲罰を課せられているとはいえ、刑務所に拘留されているわけではなく、居住区共同体の中で、そしてその核となる家庭の中で暮らしていましたので、いかに白人が監視していても、彼らの心の文化まで監視することはできませんでした。その意味では、黒人の居留地はインディアンの居留地と似ており、両者を比較して黒人居留地の在り方を検証しています。

 また、本書は全体に黒人奴隷からの「聞き書き」が広く引用されており、それを読むだけでも十分に興味をもつことができる本です。


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