山内登美雄 新曜社 1997年
古代ギリシアのアテネでは、毎年春のディオニソス祭りで、悲劇の競演が行われました。「悲劇」は「詩」であり、したがって演者は当初は1人でした。ただしコーラスがつき、これが演者と対話をします。観劇は、基本的には無料であり、演目については投票で優劣がつけられます。日本の室町時代における「立ち合い能」でも、演者が芸を競いましたが、すでに2000年近く前のギリシアでも、同じようなことが行われていたわけです。そして、こうした競い合いの場で、ギリシア悲劇においても能楽においても、極めて優れた作品が生まれてきます。
膨大な数のギリシア悲劇が創作されたはずですが、残っているのは30数編です。私が実際に読んだのは、すでに数十年前のことですが、ソフォクレスの「オイディプス王」だけですが、相当に衝撃を受けました。今回、ギリシア悲劇について、上にあげたものだけでなく、「ギリシア悲劇入門」(中村善也 岩波新書 1974年)や「ギリシア文明と狂気」(ベネット・サイモン 石渡隆司など訳 人文書院 1989年)などを読みました。要するに手元にあったギリシア悲劇に関する本を読んだということです。そして、知的関心を引き起こされて何か書いてみようと思ったのですが、書き始めてすぐ、とても私のような浅学の徒には容易には書けないことが判明しました。
本書では、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの悲劇を、さまざまな角度から扱っていますが、特に神々と人間との関係に重点をおき、それぞれの詩人の違いを述べています。アイスキュロスは、「人間と人間の間、人間と神々の間、さらに神々の間にさえさえ存在する激しい葛藤を超えて、普遍的な正義が支配する文明化された世界の到来を希求する」様を描きました。ソポクレスは、「神々の支配のもと、悲運に陥った人間が精神の力によって自由と気高さを獲得する姿」を描きました。エウリピデスは、「題材を写実的に扱い、男女の細やかな心理、とりわけ恋心、嫉妬、献身、ヒステリー、母心など女性の心の動きや激情を描いたが、これは人間の悲劇の原因を人間自身の内部のさまざまな激情に認めたからであろう。……描かれる神々は人間に近くなり、その神性は疑いの目で見られた」とされます。
「ギリシア文明と狂気」では、ホメロスの時代には、すべての運命は神々によって決定され、人間のなしうる余地はほとんどない、とされています。そして、アイスキュロスにおいても、神々と理性への素朴な信頼が認められますが、ソポクレスでは人間精神の自由の余地が認められ、エウリピデスは神々よりも人間の主導権を主張しました。ホメロスが登場してから300~400年たって、神々への信仰は薄れ、自立的な個人が形成されつつあったということでしょう。「人間は万物の尺度である」と言ったプロタゴラスは、エウリピデスと同時代の人物で、二人は知人であったとも言われていますが、この時代を通じて人々は、人間自身に対する関心を一層強めていったように思います。この傾向は、次の時代に哲学者によって一層強められていきます。プラトンは、もともと悲劇作家になることを目指していましたが、「悲劇」に限界を感じて、哲学者となったとされます。
アテネが最も繁栄した時代に、なぜ「悲劇」が国家的な事業として上演されたのか、よく分かりません。以前、これについてどこかの本で読んだような気がしますが、思い出せません。ただ、繁栄の時代に傲慢になりやすい人々に、重大な警告を発していたことは間違いないでしょう。トロイア戦争の英雄アガメムノンとその妻子の末路は悲惨であり、結果的に不義を犯したオイディプスの末路も悲惨でした。ソポクレスとエウリピデスは同じ年に死にましたが、それはペロポネソス戦争が終わった年であり、アテネが敗北し衰退に向かっていった年でもあります。そしてこの頃から「悲劇」も衰退していきました。ギリシア「悲劇」の発展は、アテネの繁栄と深く関わっていたことは、間違いありません。その後「悲劇」の中心はアレクサンドリアに移りますが、もはやかつての「質」は望むべくもありませんでした。
放浪の旅に出る盲目のオイティプス
(ワルシャワ国立美術館)
ソポクレスの「オイディプス王」は、私が呼んだ唯一のギリシア悲劇ですので、簡単に紹介します。オイディプスはテイバイの王の子として生まれますが、アポロンの不吉な預言のため捨てられます。やがてオイディプスは成長し、旅の途上で出会った人物と争って殺します。この人物がテイバイの王で、オイディプスの父でした。その後オイディプスはテイバイの人々に請われて王となり、先王の妻と結婚し子供を設けます。つまりオイディプスは父殺し、近親相姦の罪を犯しているわけですが、本人も妻子もテイバイの市民も、この事実を知りません。そしてすべては、アポロンの不吉な預言から始まったことです。ふとしたことから、彼は自分の出生に疑いを持ち、真相を調べていきます。次々と真相が明らかになっていく過程は、ドラマティックそのものです。神々によって定められた忌まわしい運命を、「聞くも恐ろしいことだが、聞かねばならぬ」として、自らの意志で真相を追求します。最後にすべてを知ったオイディプスは、自らの目を針で潰して、放浪の旅に出ます。
私の貧弱な言葉で書くと、ずいぶん平板な内容になってしまいますが、実際には相当凄まじい物語です。アポロンはオイディプスに理由もなく過酷な運命を課しましたが、アポロンが定めた運命には、自分で自分の目を潰すことは含まれていません。これはオイディプスの自由意思による決断です。しかし、それは同時にアポロン神殿の金言「汝自信を知れ」、つまり死すべき人間の限界を知れ、ということでもありました。したがって、彼は決して神を恨んだりしません。人間の幸不幸の問題は、人間の内部で人間の立場から処理されねばならないからです。
ギリシア悲劇は、精神分析学の研究に大きな影響を与えています。とくにフロイトは、「オイディプス王」における母親に対する近親相姦的な欲望を、オイディプス・コンプレックスと呼んだことが有名です。「ギリシア文明と狂気」は、現役の精神分析医によって書かれたもので、非常に難解な本でしたが、大変興味深く読むことができました。ギリシア悲劇は、現在においても、色々な意味で大きな影響を与え続けているようです。
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