2020年7月11日土曜日

映画「涙するまで、生きる」を観て


2014年にフランスで制作された映画で、フランスの小説家・哲学者カミュの短編集「転落・追放と王国」の一編「客」を映画化したものです。
 カミュの思想の核心は「不条理」という概念で、彼が言う不条理とは、明晰な理性を保ったまま世界に対峙するときに現れる不合理性のことであり、そのような不条理な運命に目をそむけず見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれます。人間は絶えず、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など不条理な暴力と闘ってきましたが、それに対して、彼は一貫してキリスト教や社会主義のようなイデオロギーを拒否し、最終的に理性も拒否する実存主義も否定し、人間の地平にとどまって生の意味を探し求めました。彼の作品としては、日本では「異邦人」「ペスト」などがよく知られています。
 映画の背景は、1954年のアルジェリアです。アルジェリアは100年以上前からフランスの植民地で、これはアラブ人にとって不条理です。2年後にアルジェの戦いが起き、アルジェリアはまもなく独立します。「アルジェの戦いついては、「映画でアフリカを観て(4)(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/04/2.html)を参照して下さい。主人公のダリュは、谷間の小さな学校で遊牧民の子供たちに読み書きを終えていました。ただし教えていたのは、フランス語とフランスの地理や歴史であり、これも不条理です。
 ある時、フランスの憲兵がやってきて、逮捕した犯罪者を町まで連れてくようにダリュに求めました。犯罪者の名前はモハメドで、従兄に麦を盗まれ、麦を盗まれれば家族が飢え死にするので殺しました。この限りでは、彼は村の掟には背いていませんが、部族の掟として従兄の親族がモハメドを殺さねばなりません。もし自分が従兄の親族に殺されれば、自分の幼い弟が復讐せねばなりません。この血の復讐の連鎖を断ち切るため、フランスの憲兵に自首して、フランス人によって処刑してもらおうと考えたわけです。つまり彼は、フランス人に処刑されるために、進んで連行されているわけです。まさに不条理です。
 ダリュにとってはいい迷惑で、彼はモハンマドを自由にするから勝手に逃げろと言いますが、モハンマドにとって自由は困難をもたらします。こうして、数日間の二人の奇妙な旅が始まります。二人が旅する荒野は、まるで人生そのもので、いろいろな事が起き、いろいろ語り合い、二人の間に心が通じ合います。そして、町の手前でダリュはモハンマドに「生きろ」と叫んで家に帰って行き、モハンマドは町から離れていきます。さらに、ダリュは学校を閉鎖します。

 映画は、あまり難しく考えなくても、結構面白く観ることができました。

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