2020年7月25日土曜日

「こうして歴史問題はねつ造される」を読んで


有馬哲夫著、2017年、慎重新書
 「古事記」「日本書記」以来、歴史のねつ造は世の常であり、ねつ造をいかにして正すかは、歴史家の主要な役割の一つです。「歴史=記述された歴史」には当然多くの誤りがあり、歴史家の人となりも歴史書に反映されるでしょうから、絶対的な歴史などありえません。「100人の歴史家がいれば、100の歴史が生まれる」とさえ言われます。ただ、ここで問題となっているのは、意図的にねつ造された歴史としての南京大虐殺と朝鮮の従軍慰安婦問題です。
 著者は、このよう事実がなかったというのではなく、資料を駆使して、これらについての歴史記述がねつ造されていることを証明します。もちろん私には、その証明が正しいかどうかを証明する術がありませんが、概ね筋は通っているように思われます。また著者は、戦後の日本の歴史観を自虐的歴史観と主張します。このことについては、以前から言われており、筆者はこのような歴史観が生まれた背景を説明しています。ただ、自虐的歴史観の中で育ってきた私としては、筆者の主張は理解できるものの、私が学んだ歴史が、それ程間違っているとは思っていません。
 ところで、このような自虐史観を修正しようとする人は、悪意をもって歴史修正主義者と呼ばれ、筆者もしばしばそのように呼ばれるそうです。しかし本書の内容は概ね筋が通っており、筆者がこれをプロパガンダのために書いたとは思えません。むしろこうした研究による誤った歴史の修正は必要であり、納得できる形で全体像が記述されることを願います。ただ、こうした研究は、歴史修正主義者と非難されることよりも、右派の人々によって利用される危険性があります。事実よりもイデオロギーを重視する人々は、どんなことでもプロパガンダに利用する傾向があるからです。

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