2017年11月4日土曜日

映画「戦場に咲く花」を観て

 2000年に日中合作で制作された映画で、終戦間近い1944年秋に満州白頭山(長白山)地区にある南満州鉄道の小さな駅で起きた殺人事件を描いています。なお白頭山は、前に見た「「満州国皇帝の通化落ち」を読んで」の通化の近くです。















 主人公の菊地浩太郎は、1936年のベルリン・オリンピックの競馬での入賞者で、国民的英雄でしたが、戦争で負傷して、この駅で療養していました。彼は中国人に対しては残忍な男ですが、なぜか大量のヒマワリの種を持ち込み、丘一面にヒマワリの花を咲かせていました。一方、駅では四人の中国人が働いていましたが、彼らは菊池を恐れ、菊池の顔色を伺いながら暮らしていました。そしてある時、菊池の遺体が発見され、犯人探索のため憲兵隊が派遣され、色々あって結局四人の中国人は全員死んでしまいます。結局、この映画が言おうとしていることはよく分かりませんが、この映画を理解するためには、革命後の中国映画史を理解する必要があるように思われます。
 私はネット上で「中国の歴史社会教育における日本イメージの形成と変遷について  「抗戦映画」 等文芸作品を中心として」(趙軍 千葉商大紀要 2009) という論文を見つけ、大変興味深く読みました。それによれば、1949年中華人民共和国の建国以降、抗戦映画が盛んに制作され、そこでは日本人は鬼子として扱われ、記号化・ステレオタイプ化が行われました。これは、実際に日本が中国で行ったこと、日本に対する中国人の無知、政府による思想統制、などの理由から当然の結果だと思います。しかし日中の国交が回復した1970年代以降、日本についての知識が増えるとともに、文化大革命への反省もあって、日本人をより複眼的に捉え、事実を直視する傾向が生まれてきたとのことです。

1993年に制作された「さらば我が愛・覇王別妃」は、ある京劇の役者の波乱に富んだ生涯を描いていますが、その中で、四度彼は軍隊のまえで演じています。最初は日本軍の前で、観客が将校たちだったこともあって礼儀正しく演劇を鑑賞し、中国文化を理解していました。二度目と三度目は国民党軍の前で、国民党軍は軍規が乱れており、乱闘騒ぎになってしまいます。そして四度目は解放軍の前で、最後は人民解放軍行進曲の斉唱になってしまいました。結局、一番まともだったのは日本人で、要するにすべての日本人が「鬼子」というわけではない、ということです。この映画は以前に私も観ましたが、非常によくできた映画で、京劇の役者を通して近代中国の歴史をよく描いています。
 そして、2000年に制作された「戦場に咲く花」は、以上のような中国映画史の延長線上にあります。菊池は中国人には無慈悲でしたが、その背景には英雄としての重圧、再び戦場に戻ることの恐怖、故郷で死にかけている妹、妹が好きなヒマワリの花に囲まれて生き、かろうじて心のバランスを維持していたのだと思います。彼は時々優しい顔を見せることがあり、これが彼の本来の姿だったのかもしれません。そして彼は、どうやら殺されたのではなく、自殺したようです。ここでは彼は、もはや単なるステレオ・タイプの記号ではなく、心をもっていました。また日本人に仕える中国人たちも、従来の映画では裏切り者でしたが、彼らにも彼らの思いがあり、結局四人とも死んでしまい、死によって祖国への忠誠を果たします。最後に、犯人逮捕のために来た憲兵は、菊池の自殺を疑っていましたが、英雄が自殺したということは許されませんので、四人の中国人の中から犯人を探し出す(あるいはでっちあげる)必要がありました。そして結局四人全員が死に、憲兵は良心の呵責を感じつつ、任地に去っていきます。彼もまた、単なる記号ではありませんでした。

 この頃から日中関係は「脱戦後」の時代に入り始め、高倉健主演の「単騎、千里を走る」のように、雲南の人々と日本人の訪問者との心の交流を描いた映画なども制作されます。「戦場に咲く花」も、中国映画史の流れの中で観れば、価値ある作品の一つと言えるのではないでしょうか。


















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