北野憲一著 1992年 新人物往来社
1932年に日本軍によって満州国が建国され、清朝最後の皇帝宣統帝(愛新覚羅溥儀)が執政(後に皇帝)となりましたが、1945年8月8日にソ連軍が侵攻すると、溥儀は満州国の首都新京(長春)を捨て、8月13日に通化に逃れます。そして8月15日に日本が敗戦し、8月18日に溥儀は退位を宣言し、翌日ソ連軍の捕虜となります。
通化は、当時人口3万人余りの小さな町でしたが、鴨緑江を隔てて朝鮮と国境を接していたため、戦略的に重要な町でした。1945年4月に、この町の女学校長として、本書の主人公である古荘康光が赴任し、当時この女学校の教師だった著者は、この時期の古荘についての思い出を書き残しました。
当時古荘は30代初めで未婚であり、女学校の校長が未婚ではまずいため、辞令が出たその日に見合いをして結婚し、直ちに通化に出発しました。通化での生活は初めは穏やかでしたが、やがて敗戦が明白となると、一時溥儀が通化落ちしますが、このこと自体は彼らにとってあまり関係のないことでした。しかしソ連軍が侵攻し、二人のソ連兵が一人の女子学生を連れ出そうとしたため、古荘の妻は自分を身代わりに連れていくことを求め、結局彼女が連れていかれ、翌朝彼女は自殺しました。こうなると女生徒たちを逃がさなければなりません。幸いにも夏休中だったので、学校には18名しか残っておらず、また朝鮮との国境に近かったため、全員を逃がすことに成功します。結局、古荘が通化にいたのは5カ月余りでした。
当時、こうした苦しみを味わった人々は、数えきれないほどいたと思います。この物語は、そうした苦しみの一コマでした。
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