2012年にデンマークで制作された映画で、18世紀の後半にデーマークの王宮で起きた事件が描かれています。私は、この事件について知りませんでしたが、デンマークでは教科書にも記載されている事件だそうです。映画では、冒頭に、「1700年代末 教会の力を背景に貴族が圧政をしいていた。だがその流れが変わり、知識人や思想家が改革と自由を求め始める、これが啓蒙時代である」というテロップが流されています。
中世においては、デンマークは北欧の覇者でしたが、近代に入ると次々と戦争に敗れ、18世紀になると、周辺でイギリス、フランス、ロシア、プロイセンなどの大国が台頭するなかで、デンマークは小国へと転落し続けました。また、17世紀後半にデンマークでも絶対王政が確立しますが、社会の改革は一向に進まず、当時普及していた啓蒙思想も、デンマークでは禁止されていました。1766年に17歳で即位したクリスチャン7世は、幼い頃は非常に優秀な人物だったとされますが、教育係による暴力的な教育によって心を病み、奇行が目立つようになります。そしてこの年、イギリスの王家から、当時15歳だったキャロラインが嫁ぎますが、これが彼女の不幸の始まりとなります。2年後に彼女は、王位継承者となるフレデリクを出産しますが、以後、彼女は国王に無視され続けます。
この映画の主人公は、クリスチャン7世とキャロライン、そしてもう一人、ストルーエンセです。ストルーエンセは、プロイセンの町医者で、啓蒙思想の信奉者であり、同時に大変な野心家でした。当時彼はデンマークの改革派の貴族たちと接触していました。彼らはデンマークの宮廷から追放され、プロイセンに亡命していたのですが、再び宮廷に戻るために、ストルーエンセを国王の侍医として宮廷に送り込もうとしていました。1768年にこの企ては成功し、ストルーエンセは国王の絶大な信頼を得ます。映画では、ストルーエンセは常に貴族たちに抑圧されてきた国王に自信を取り戻させ、勇気をもって国王に改革を断行させた、と描かれています。やがて彼は国王の顧問となり、宮廷から保守的な貴族を排除し、次々と改革を行っていきますが、これは貴族の強い恨みを買うことになります。
彼の改革があまりに性急過ぎたこともありますが、ストルーエンセにとって致命的だったのは、王妃キャロラインとの不倫でした。この間にキャロラインは女の子を生みますが、この子はストルーエンセの子だとされています。いずれにしても、この不倫は保守派の貴族たちにとって絶好のスキャンダルです。これをきっかけに、1772年に貴族たちによるクーデタが起き、ストルーエンセは処刑され、キャロラインは子供を奪われてドイツに追放され、政治は従来の反動政治に戻ります。ストルーエンセの改革は、14カ月で終わりました。
映画は、追放先で死を迎えたキャロラインが、息子と娘に事件の真相を伝えるための手紙を書くところから始まります。そして、1775年にキャロラインは死にます。23歳でした。その後、1783年にフレデリクが15歳でクーデタを起こして摂政王太子となり、保守派を追放し、ストルーエンセが進めた改革を推進し、1806年にクリスチャン7世の死亡後は、王として長くデンマークを統治します。こうして、デンマークは、小国として、また民主的で平和的な国家へと変貌していくことになります。
ストルーエンセをどのように理解するのかについて判断するには、私には知識が不足しています。彼は、啓蒙思想に基づく改革に情熱を燃やしていたのか、またキャロラインを本当に愛していたのか、あるいは単なる野心家だったのか、キャロラインもまた彼にとって野心のための手段にすぎなかったのか、私には分かりません。映画は前者の立場をとり、ストルーエンの14カ月は、デンマークの民主主義の出発点ととらえているようです。
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