2016年1月6日水曜日

「時計と人間―アメリカの時間の歴史」を読んで


マイケル・オマーリー著(1990)、高島平吾訳 晶文社 1994
 本書は、機械時計は「与えられたものとしての時」と「自ら使いこなすものとしての時」という二重性をもった時であり、この二重の時がアメリカでどのように浸透していったかを論じています。本書は、高度な専門書ではではありますが、幾分コミカルなタッチで描かれており、大変面白い内容ではありますが、それでもかなり集中して読まないと、論理を追うことができませんでした。
 本書はまず、1826年以来コネチカット州ニューヘブンの町で起こった論争から始まります。この年に、役所は時計を据え付け、自分たちは規則正しい生活をしていることを世に示そうとしました。ところが、この町にあるもう一つの時計、イェール・カレッジの時計と少しずつズレていくことが判明しました。まず役所の時計が少しずつ遅れ始め、次に追いつき始め、さらに追い越すようになったのです。人々は混乱し、大論争が展開されました。神が造りたもうた「時」に間違いがあるはずがない。どちらかの時計が壊れているのではないか、そもそも神の創造物である「時」を機械で切り刻んでよいのか、などです。
 これは「時」とは何かという根本的な問題を孕んでいると同時に、時計という機械に遭遇した人々の最初の混乱でした。時計自体は古くからありましたが、それは修道院でのお祈りの時間を知らせたり、昼の時間を知らせたりする程度のもので、普通の人々が、少なくともこの村の人々が、身近に時を切り刻むのを目撃したのは初めてでした。結局、この「ズレ」が生じた原因は、イェール・カレッジの時計が太陽が真上に来たときを正午とする太陽時計だったのに対し、役所の時計は平均時(標準時)だったということです。ここで、一体どちらの時間を信じるべきなのか、という大論争が起きることになります。
 また、鉄道が西に向かって急速に伸びていくと、今度は時差の問題が起きてきます。鉄道で東西に30分載っているだけで、時差が発生します。では、鉄道の時刻表は、太陽時計(現地時間)に従うのか、標準時に従うのか。さらに工場で労働者が、決められた時間から決められた時間まで働くようになると、時間は売買の対象ともなります。また、20世紀に入って映画が普及すると、「普通のできごとの、予期される、常識的な時間感覚と過程を驚くべき効率をもって侵犯した。映画は通常のできごとのスピードと方向とを、両方とも変えてしまった-リンゴは上に向かって落ち、人々はあとずさりして歩き、花はまたたくまに無から生じ、砕かれた荒石が建物に舞い上がってもとの壁におさまる、という具合。」
 以上にあげた内容は、本書のほんの一部でしかありません。全体にこうした極めて興味深い話が語られています。時計が普及し、その時から時計と人間の戦いが始まる、という物語です。
 なお、本書の訳者解説に、興味深い内容が描かれていました。明治5(18721119)、政府は突如太陽暦に変えることを決定し、同年123日をもって明治6年1月1日とすることが決定されました。決定から実施まで、わずか14日しかなかったわけですから、議論の暇もありませんでした。しかし、政府の命令にも関わらず、かなり長い間123日に正月を祝う人はほとんどいなかったようです。私の祖母は明治生まれでしたので、ずっと旧正月を祝っていました。



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