ラス・カサス伝 新世界征服の審問者
染田秀藤著 1990年 岩波書店
アメリカ大陸の現地人にとって、ヨーロッパ人の到来はまさに宇宙人の襲撃に匹敵する衝撃だったと思われますが、スペイン人にとっても、この広大な土地と人々をどのように扱うべきか戸惑いました。とりあえずスペイン人は、従来型、つまりイベリア半島においてレコンキスタにより新たに得た土地と領民を戦士に与えるという方式を採用しました。そして、一獲千金を夢見て命がけで「新大陸」に渡った征服者たちは、貪欲に利益を追求し、その結果インディオの生活は徹底的に破壊されました。
ラス・カサスの父は、コロンブスの第2回遠征に同行し、ラス・カサス自身も1502年にエスパニョーラ島に航行し、インディオを使役して農場経営を行いました。ラス・カサスが18歳頃のことでした。しかし、やがてインディオの悲惨な状況を目の当たりにし、1506年に司祭に叙任され、さらに司教に任命されると、「新大陸」(中南米)における数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発、同地におけるスペイン支配の不当性を訴えつづけました。
スペイン本国も、インディオに対する対処の仕方が分からず、当初スペイン本国もラス・カサスの意見に耳を貸し、改革を実行したりしますが、「新大陸」の征服者によるラス・カサスに対する憎悪は凄まじく、改革案もほとんど実施されることはありませんでした。それでも彼はインディオの保護を叫び続け、1566年に死去するまでインディオの保護を訴え続けました。
ラス・カサスについての評価は、時代により異なります。「スペインの征服事業に関しては、武力による金銀財宝や領土の獲得を目指した、もっぱら軍事的な性格を帯びた企てであるとする解釈と、先住民のキリスト教への改宗、つまり魂の獲得と文明化という精神的かつ文化的目的をもった歴史的事業であったとする解釈がある。前者の解釈によれば、スペイン人征服者は物欲に駆られて先住民を殺戮した極悪非道な人間であり、キリスト教化はスペインがインディアスを支配し、掠奪するための単なる口実にすぎなかった。この解釈は歴史的に見れば、16世紀、つまり、近代の世界システムが確立しはじめたころ、イギリス、フランスやオランダなど、後発の植民地国家がスペインによるインディアス独占支配体制を打破するという政治的かつ経済的な意図のもとに行った反スペイン運動の中で生まれたものである。」スペイン人はこれを「黒い伝説」と呼び、ラス・カサスを「黒い伝説」の創出者として弾劾ました。
「一方、(19世紀に)スペインから独立したものの、慢性的な国内の政情不安と経済的疲弊を解消できず、その結果新植民地主義の犠牲になって経済的な自立を阻まれ、苦悩するイスパノアメリカでは、先住民は近代化を阻害する要因で、スペイン人征服者こそイスパノアメリカの建設者であると考えられ、征服は美化された。……それは「白い伝説」と呼ばれている。そのような征服史観においてラス・カサスが積極的に評価されるはずはなかった。……ラス・カサスは「黒い伝説」では征服の非道な実態を告発する重要な証人となり、「白い伝説」では時代錯誤の精神の持ち主と偏執狂者とみなされた。」
「しかしそれらの征服史観には、共通して被征服者であるインディオの視点が完全に欠落していた。つまり、双方ともヨーロッパ中心主義に基づく見解にすぎなかったのである。」これに対して、「インディオを国家の基本的な構成要素とみなして彼らの自由と人権を擁護し、国民社会への統合を目指すインディヘニズムと名付けられる運動」が高まりました。そこにおいては、「ラス・カサスは新植民地主義に反対する先駆的な存在としてその現代的意味が評価されたのです。一方、「カトリック世界では解放の神学」と呼ばれる新しい教会運動が登場した結果、行動する聖職者ラス・カサスの神学理論が評価」されるようになりました。
このように、ラス・カサスについての見解が時代により、地域により大きく異なってきたため、著者は事実関係を確実に書くことを心掛けています。そのため、私のような素人が読むには幾分厄介で、途中をかなりとばして読んでしまいました。なお、ラス・カサスは、インディアスにおける労働力としてアフリカの黒人を投入すればよいと主張したことがあり、これについて長く批判されてきました。このことは、当時のラス・カサスがアフリカ人について無知だったことによるもので、後にラス・カサスはこの発言を後悔し、撤回しています。
ところで、何の根拠もないことですが、中南米に関する本を何冊も読んでいるうちに、これを近代世界システムに組み込んで説明することが馬鹿馬鹿しく思われてきました。もう一度、中南米の側から、世界史を見直して見る必要があるように感じましたが、もはや私にはその気力が残っていません。
カール5世の前に立つラス・カサス
ラインホルト・シュナイダー著(1938年) 下村喜八訳 1993年 未来社
ラス・カサスを調べていると、私の個人的な感想としては、同時代に生きたルターと大変よく似ているように思います。ルターといえば宗教改革の火ぶたを切った人物であり、決して信念を曲げず、1521年のヴォル帝国議会で自説を撤回するよう求められた時、「私にはどうすることもできない、私はここに立つ」といったとされます(ただしこの話は伝説で、事実とは違うようです)。
1517年、ラス・カサスはマドリード北方のバリャドリードの宮廷に滞在し、そこにスペイン王になったばかりのカルロス1世(後に神聖ローマ皇帝カール5世)が滞在していたため、インディオ保護のための活動を精力的に行います。この年、ルターがヴィッテンベルク教会の城門に「九十五カ条の論題」を張り出しました。カルロス1世は、人道的な理由より、「新大陸」で征服者たちに好き勝手にさせ、統制がきかなくなることを心配し、一定の保護政策を決定します。
その後ラス・カサスはスペインと「新大陸」を何度も往復し、インディオ保護を徹底させようとしますがうまくいかず、むしろ征服者たちの彼に対する憎しみはますます激しくなっていきます。そうした中で、1551年にバリャドリードでカルロス1世の前でインディオ問題を公開討論することになりました。この小説は、この時のラス・カサスを描いています。相手は、アリストテレス学者として高名であったセプルベダで、インディオは野蛮人であるとして、アリストテレスの「先天的奴隷人説」をインディオに適用します。これに対してラス・カサスは、自らの経験をもとに先住民の大半が文明的生活を送っていると証言し、異教徒であるインディオの自然権を主張しました。討論では、おおむねラス・カサスの主張が認められたようですが、その後もインディオ保護は進まず、1556年に彼はスペインは神の懲罰を受けて、必ず没落するだろうと予言しつつ死んでいきました。なお、この年カルロス1世も死亡します。
本書にはベルナルディーノという架空の人物が登場します。彼は「新大陸」でインディオを酷使して富を蓄え、たまたま討論のためバリャドリードに向かっていたラス・カサスの船に同乗していました。本書は彼を通じてインディオの悲惨な状況を語ります。そして帰国後も、親戚や友人たちに歓迎されませんでした。お前たちが貴金属を大量にもたらしたおかげで、貨幣価値が下がり、蓄えた富がほとんどなくなってしまったと非難されます。結局、インディオを酷使して得た富は、スペインに何ももたらさなかったわけです。
本書の著者ラインホルト・シュナイダーはドイツの作家で、ナチス時代にはユダヤ人の迫害を批判して迫害された人物です。また戦後にはドイツの再軍備やアメリカによる核兵器の配備に反対し、いわば非国民として非難されました。ラス・カサスもスペインの繁栄を願わないのかと非難されましたが、彼はこのような非道を続ければやがてスペインは没落するという危機感を抱いていました。シュナイダーは、自分の行動をラス・カサスに投影し、このままではドイツは没落してしまうという危機感を表明したかったのだと思います。
マチューカ 未知の戦士との戦い
1599年マチューカ著、青木康征訳 1994年 岩波新書(アンソロジー 新世界の挑戦12)
マチューカは、コンキスタドル(征服者)として富と地位を求めてインディアスの各地を転戦します。軍人としての彼の能力は高く評価されていましたが、なかなか出世できませんでした。彼はヨーロッパに帰国中、たまたまラス・カサスと論争したセプルベダの著書を知って共鳴し、ラス・カサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告(プレビシマ)」に対する反論書を書くことを決意します。これが本書「未知の戦士との戦い」です。
彼はラス・カサスの著書の間違いを、かなり些細なことまでとりあげ、ラス・カサスの説の間違いを指摘していきます。インディオを生まれつき残虐で裏切り者である、と言います。それは戦士として直接インディオと戦ったマチューカにとっては嘘偽りのない事実だったことでしょう。また彼は、インディオと数えきれほどの戦いを行っており、敵が異なれば武器も戦術も異なります。それはまさに「未知の戦士との戦い(ミリシア)」であり、それなりに面白い内容であり、またその限りでは説得力があります。
しかしマチューカとラス・カサスとの間には半世紀ほどの開きがあります。マチューカが生まれたのは1555年頃であり、ラス・カサスが死んだのが1556年で、この間にインディアスの状況は激変しています。ラス・カサスの時代にはインディアスをどの様に扱うか模索していた時代でしたが、マチューカの時代にはインディアスの植民地化は既成事実となっていました。ラス・カサスの時代には、なぜスペイン人はインディオに対して暴虐な扱いをするのかと問われましたが、マチューカの時代にはなぜインディオはスペイン人に反抗するのか、反抗するなら倒すしかないということになります。
マチューカの主張は、コンキスタドルはラス・カサスが主張するような暴虐者ではないということ、またインディオへの武力行使は侵略ではなく、法に基づいて行われる懲罰であり、インディオはラス・カサスが主張するような善良な人間ではないということです。マチューカは、ラス・カサスが指摘する多くの事件の「発端と状況」を論証し、ラス・カサスが間違っていることを指摘します。しかしマチューカはもっと大きな「発端と状況」を見ていませんでした。すべての発端は、コロンブス以来のスペインによる侵略と暴虐であり、それゆえにインディオがスペイン人に強い敵意を示して攻撃してくるのは当然のことなのです。その意味で彼の視野は狭すぎました。しかし当面彼の著作は広く受け入れられ、逆にラス・カサスは忘れ去られていきます。
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