2018年10月20日土曜日

映画「ドン・ジュアン」を観て


1998年にスペイン/フランス/ドイツによって制作された映画で、1665年に上演されたモリエールの喜劇「ドン・ジュアン」を映画化したものです。モリエールについては、このブログの「映画「モリエール 恋こそ喜劇」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/10/blog-post_31.html)を参照して下さい。
 ドン・ジュアンとはスペイン語でドン・ファンであり、彼は17世紀スペインの伝説上の放蕩児として知られ、プレイボーイの代名詞として使用される人物です。モリエールは、この放蕩児を題材として、当時の教会を痛烈に批判します。ドン・ジュアンは女性を口説き落とすことに生甲斐を感じ、多くの女性と交わり、その結果多くの人を傷つけ苦しめても、何の罪悪感も抱きませんでした。彼は神も悪魔も信じず、教会の偽善を批判します。彼にとって、悪党として非難されて生きるか、それとも偽善者として称賛されて生きるかという問題であり、彼によれば偽善者こそが正真正銘の悪党ですが、その彼がやがて偽善者として生きることを決意します。しかし、死の直前に、彼は自分の行くべき道を見いだせないまま死んでいきます。「ドン・ジュアン」の物語は、喜劇というより悲劇というべきでしょう。
 「ドン・ジョアン」の内容はあまりに過激であり、民衆には大人気でしたが教会によって上演が禁止され、本作が完全な形で上演されるのは、これより200年後のことになります。「ドン・ジョアン」が上演されてから20年ほど後の1682年、江戸時代初期の日本で井原西鶴が「好色一代男」を発表し、一人の男性(世之介)の好色で自由気ままな人生を描き出しました。「好色一代男」は、庶民社会の幕開けを示すものでしたが、「ドン・ジョアン」は信仰が動揺する中で、自我を求める近代人の苦悩を示しているように思います。

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