2018年10月7日日曜日

小説(12-4) ラビリンスドール(4)(麻実)


「りさちゃんにピッタリだと思って」
 りさは、受け取ったばかりの、可愛らしい包装紙の可愛らしい小瓶を見つめた。
 綺麗で可愛くてお人形さんのようだ、と褒めそやしてくるこの男は、どうやら彼女に惚れこんでいるらしい。お店のチョイスだってそうだ。
可愛らしくファンシーで、どこの誰だが知らない自称アーティストが作った創作物がいつでも見られるようになっている。もちろん、読み物コナーは、画集、お花、お洒落カフェ特集が主。ハーブティーか紅茶がメインなので珈琲なんて、あれ、飲まれるんでしたっけ? みたいな認識しか持ってもらえない、不憫で可憐なお店。
 「ありがとう。こういうの欲しかったの」
 嘘はついていない。本当のことも言ってないけど。
 でもまあ、明日の朝には脳内行方不明になるだろう。
 可愛らしいに小瓶を手のひらで眺めるふりをしながら、りさはうんざりしていた。彼女に対する、特に惚れてくれる彼らの言葉のなんと同じことか。裹から言えば感動さえ覚えるほど、そっくり。お人形のように、可愛らしく、ファンシーなものが好き。問違ってない、でも正しくもない。私は本当はこういう性格なの! なんて叫びたい衝動どころか意志もない。
 めんどくさい。そもそも、そんな必要ある? 誰も彼もが、私を好きに思えばいいじゃない。
 あなたが思った私でいい。いつでもあなたの望む私でいてあげるから。
 りさが理解できないのは、目の前にいる彼のように、やたらに出来る範囲内、どこまでも、自分をアピールしたいという欲望を抑えられないひと。大人としての常識はあるだろうから本当にさりげなし、言われないと気づかれない、だから、必死な印象しか残らない。
  ピアス、服装、ワックス、言葉遣い、オレやんちゃだった話、スピリチュアルブレスレット、好きなもの、嫌いなもの、等々。
  どうやら彼は若く見られたいみたい。もしくはりさに気にいられたいから。後者だとしたらずいぶん安く見られたものだ。どちらにしても釈然としない。りさは実年齢よりも若く見られるので、若作りしたがる人の心理が本当に分からない。どいつもこいつも、なぜ若く見られたがるのだろうか? 老いに逆らいたい気持ちはまた理解できるけれど、心情まで若く見られたいのはどんな作用が働いているんだろう。確かに若さは、武器だ。若いうちの失敗事は案外すんなりと許してもらえるものだから、苦労は買ってでもしろ、と言った誰かは本当に正しいのだ。さもないと、いい歳をして、失敗と寛容を求めて若さをえんえんと蜜のごとく、喉を干からびさせてでも、欲するのだ。永遠に。
 ああ、うっとりするほど、なんて可愛そうな人たち。
 それとも純粋に、何ひとつとどまることができないこの世界の法則に、なんとしてでも逆らいたいというのなら分かるような気がする。そういうほうが好きだ。それは芸術と吁ばれるものだからだ。この世に名付けられた全てのものは、あんな複雑で精巧な創作物をわざわざ飾りたてずとも、美術館にわざわざ出向かずとも、もとより、言葉によって名付けられてしまったもの、多摩川、石、コップ、私、家族、遊園地、名前を与えられた時点で、すでに、ひどく、人間的な芸術。
 何かを創らなくては生きて行けない人は、自分の人生が一度しかなく、同じ瞬開が二度と訪れない、たったの一回きりの自分を、世界を、心の底から愛しているのかな。
 りさはおもむろに撫で上げるように、誘うように、髪をかき上げる。唇もわざと水で濡らしてみせる。
 男の予想通りの反応を確認したあと、諦めたように微笑んだ。
 りさは表層だけをなぞったような紙のような台詞を相手に合わせて並べ、そのやりとりから逃れるように、冷たい膜を張った。
 誰もあたしの心に、触れない。存在しないものに触れるわけがないでしょう?

 ゆっくりと、こちらに近づいてくる女がいる。遠くからで、最初は迷子にでもなったような足収りで近づいているのだと思っていたけれど、違った。女は確信を持って、強い意志を持って、翔に近づいてくる。こわい、と思わせるほどの端正な面立ち。メイクCMで嫌でもかってくらい盛られたようなアイメイクを思わせる、黒々とした瞳、こちらも不自然なくらいにべったりと赤いくちびる。作られたような肌。漆黒の長く長く、先端が見えず、触れさせるものすべて巻き取るような纎細かつ強靭な髪を思わせた。底のない瞳にじっと見つめられる。体温を感じない身体が触れる。髪が肌を刺すように絡みつく。女のくちびるが翔の顔を撫で、何かを告げるように動く。逃げようにも恐怖で動けない。声が出せない。こんなに叫んでいるのに。でも、誰に?
「翔」
 はっと、目が覚めて、さっきまでのことが、夢だったのだと気が付く。それでも、あの空気、女の気配、感触は生々しくて、とても目が覚めただなんて思えない。
 「翔? 大丈夫? うなされてたけど」       ……
 それでも、あきらを安心させなければと思い、大丈夫と平気を演じる、隣にいるはずの、あきらに、これ以上ないくらい怖気入った。俺の隣にいるこいつは誰だ? おい、待て、触るな! なんてこんな馴れ馴れしい? 誰なんだ・ いや…何なんだ!
 翔は震え上がる体を抑え、怯えを噛み殺すように、いつも通りを、振る舞った。
 「トイレ。ちょっと今日、飲み過ぎちゃったみたい」
 「大丈夫、それならいいけど。お姉さんがどうとか…何でもない」
 姉ちゃん? あんな平凡に隘れたやつらが今の夢とどう関係ある?あきらの気のせいだろう。寝室を出たあと、もちろん、トイレに用はないが一人になりたかった。何よりあきらから離れたかった。そんなこと言えるわけない。翔はトイレのドアの開け閉めを大げさにし、さも入っているアピールを完成させ、そろそろと玄関扉を開けた。まさか、気づ
かれないとは思ってないが、今の自分の状況よりはマシだ。あとで問い詰められたら、急な仕事が入ったとかなんとか言って謝って置けばいい。
息苦しいな。
 それにしても寒い。何か羽織るものを持ってくればよかった。けれど、心の芯を凍り付かせるほどの震えは、外気のせいじゃないのも明白だ。というか、これは好都合だ。俺は今、現実的な寒さによって震えているのだ。怯えているのじゃないという、自分へのつまらない言い訳。あきらは俺の彼女で、結婚も、たぶんするだろう。彼女の兄弟構成も出身地も思い出せる。平気だ。ちょっと嫌な夢を見て気が動転しただけだ。それでも、今はあの家には帰りたくない。ゆっくり深呼吸がしたい。どこでなら、できる?
 自動販売機で買えるホットドリンクは限られていたけれど、たまには、普段の自分なら選ばないのを飮むのも悪くない。レモネードを押す。
 歩いているうちに高架下まで来てしまったみたいだ。さっきの夢の続きみたいに頁っ暗だ。だけれども翔の恐怖は夢そのものではなく、あきらへと変換されていたので、何故だが、この無機質な暗闇にほっとした。腰をおろし、ゆっくりと体を温めるようにドリンクを飲み干す。その時、誰かが歩いてくる足音がした。ヒール。女の音だ。別にここは通勤通学でたくさんの人が通る、時問帯が深夜だからって誰も通らないなんてあるわけないし、少し身構えたが、普通の女性だった。安堵とともに引っかかるものを感じた。あれ? この人、どこかで会ったことないか?
 「あの」
 翔は思わず引き留めてしまった。
 ふりむいた女性は、お人形のような、という印象と感想しか湧かないような、若くて幼い、でもどこか不思議な雰囲気を纏っていた。
 「なんてすか?」
 普通に、この状況、女性のほうが怖いし嫌だよな。翔は反省し、なんでもないです、と言いかけたが、その前に彼女とどこで会ったことがあることに思い出してしまった。
 「あ、あきらの友達! ですよね。名前なんて言うんでしたっけ? 偶然ですね」









(この写真と文章の内容とは、関係がありません。)

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