2018年10月2日火曜日

小説(10) 思春期はクローゼットに入って(麻実)


私のクローゼットが死んでいる。これは比喩でも感想でもなんでもなく、現実である。
私はありとあらゆる、それこそイオンから始まりリズリサまでたくさんのショップを気分転換と称し、お洋服を買い求めるのが好きなのである。最近になってようやく、自分の体形に合うもの、似合う色合い、雰囲気などは絞り込めるようになったので、無駄に、あそこのはしっこからこちらのはしっこまで全部欲しいなどと戯言は吐かなくなったのだけれど、それでも時々、コンビニでモード系などのファッション雑誌などを立ち読みしていると、突如、これからのファッションは尖っていかないとな! と血迷った悟りを開き、似合わない、どう考えても場違いなお店で、真剣に悩むことも度々。
何故、こんなにも着るものに執着するのか、単純に言えば、着飾っていなければ、自分に自信が持てないから、という答えになるのだけれど、そもそも女性のファッションってそういうところからの発信ではないくーのかという気がする。
 そして、恐ろしい事態に気づいたのは、昨日、そう昨日である。いつものように、新聞広告を眺めていたら、今は夏のセール真っ最中。やばい、これはもう行かなあかん、と朝ごはんを食べながらそわそわしだし、懐事情をまったく無視し、さらさらりとご購入。帰宅後、戦利品を収めるべくクローゼットを開いた私は、何とも知れない違和感に凍り付いた。な、なんと、私は、このクローゼットに入っている服を一度たりとも着ていない。
おそらく数ににしてゆうに百着は越しているであろう、これらを私は普段の生活の中でIミリたりとも思い出したりしていないのだ。あれほどにまでに惚れこんで、これじゃないとダメなのよ、と様々な欲望と引き換えに手に入れたというのに、私の脳の活性化が収まるや否や、クローゼットを閉じるとともにあの瞬間の感情もどこかへと収納されてしまっていたのだ。
じゃあ、普段は何を着ているの?という疑問が降りてくるわけだが、特徴を挙げろと言うのが困難なくらいに、普通を普通に極めたような服を一定の周期で着まわしているのであった。それじゃあ、このクローゼットに入っている、あらゆるジャンルの素敵な布の集合体は、いったい、何のためのものなのだゝと。なんでもいいから、とりあえず着よう。
* ホラー・タッチです。









(この写真と文章の内容は関係ありません。)




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