2020年6月6日土曜日

映画「馬を放つ」を観て


2017年に制作されたキルギス・フランス・ドイツ・オランダ・日本による合作映画で、近代化により滅びゆく伝統文化=遊牧騎馬文化を描いています。なお、遊牧騎馬文化については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第10 遊牧騎馬民族の活動と内陸ユーラシア」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/10.html)を参照して下さい。







映画の舞台は、現在のキルギス共和国です。かつてのロシア帝国・ソ連領の中央アジアでは、ソ連邦崩壊後、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタンが独立します。この地域は、古くからシルクロードの通路であり遊牧騎馬民族の活動の舞台でした。しかし近代化が進み、遊牧騎馬民の文化は廃れていきました。グローバリゼーションは、資本主義という共通の価値観で世界を一体化し、少数者を排除していきます。なお、ウズベキスタンについては、このブログの以下の項目を参照して下さい。映画「ダイダロス 希望の大地」を観てhttps://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_30.html

映画「草原の実験」を観て http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/05/blog-post_11.html

主人公は村人たちからケンタウロスと呼ばれていました。ケンタウロスというのは古代ギリシア神話に登場する人と馬が一体となった怪物で、騎馬文化をもたないギリシア人が遊牧騎馬民族を見て想像した怪物だともされます。主人公は教育もない平凡な男で妻は聾唖者であり、5歳の息子も母親の真似をして言葉を話しません。解説によれば、これは不満を語ることができない、ケンタウロスを象徴しているのだそうです。やがてケンタウロスは夜競走馬を盗み出し、夜中中乗り回して返します。そのため馬が疲れて、競走馬として使えなくなってしまいます。一体誰が何のために盗むのか、村中で大騒ぎとなります。
やがてケンタウロスは捕まり、義兄に自分の心情を涙ながらに語ります。
昔キルギスの民が拳のように強く結束していたとき、欧州人は俺たちをケンタウルスと呼んだ。俺たちの祖先は、手を取り合い、平和に暮らしていた。家族の絆は強かった。しかし家族の絆は失われた。
ある晩夢を見た。白馬に姿をかえた神が現れ、人間たちの腹心の友となり、人間の翼となった。ところがお前たちは自分を神と思い込み、自然を破壊した。お前たちは富と権力を手に入れるため、肉にされた馬たちを思うと、心が引き裂かれる。俺たちは翼も心も失って怪物になってしまった。
 ごく普通のキルギス人が、伝統と文化の変容に直面し、そのストレスに耐えられなかった、ということでしょうか。
 その外に、この映画には二つの興味深い場面がありました。一つは言語です。キルギスのように長くソ連邦の支配下におかれた国では、言語は伝統的な言葉を話しますが、読み書きにはロシア語を使うことが多いのです。というのは、というのは伝統的な言語では、近代的な行政や科学に関する表現がないからです。キルギスでは、ロシア語が公用語、キルギス語は国家語だそうで、意味がよく分かりませんが、キルギス語を残そうという意志の表れでしょう。またキルギス語で書いたとしても文字はロシア文字を使います。映画では、ケンタウルスの聾唖の妻が手話で話し、書くときはロシア語を書いていました。ただしこの手話がロシア語なのかキルギス語なのか分かりませんが、多くの人々がキルギス語とロシア語を巧みに使い分けています。
 もう一つは宗教です。キルギスは長い間ソ連の支配下にあり、その間原則的に宗教は禁じられていましたので、信仰心があまり強くありません。今日人口の75%がイスラーム教徒で、映画でもモスクで礼拝の場面がでてきますが、信仰というより社会儀礼のようでした。イスラーム教はアラビア語を強制するので、嫌がられる傾向にあるようです。一方民間信仰は根強く残っているようで、ナマスと呼ばれる叙事詩か民間では親しまれているようです。ナマスは、9世紀にキルギスの独立を守って戦った英雄たちの物語で、その量においてホメーロスのオデュッセイアの20倍に及ぶそうです。ケンタウルスの信仰は、多分このナマスを基礎としたものだと思われます。
 なおナマスは、世界で最も長い詩として、ギネス世界記録に登録されているそうです。

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