2020年6月26日金曜日

レバノン映画「判決、二つの希望」を観て

2017年にレバノンで制作された映画で、庶民の普通の生活と、つまらないいざこざや裁判沙汰を通して、レバノンの人々の心を描き出しています。
レバノンについては、最近日産のゴーン元会長がここに亡命して話題になりましたが、この地域には極めて古い歴史があります。すでに紀元前1200年頃にはフェニキア商人が地中海貿易で繁栄し、各地に植民市を建設して移住しました。今日でもレバノン人は、世界各地に移住して財産を築いており、特にブラジルのレバノン人の人口は本国の人口を凌いでいるとされます。レバノン人だったゴーン氏がブラジルで生まれ、レバノンで教育を受けたのは、こうした背景によるものです。
その後、レバノンは多くの民族に支配され、やがてアラブ化・イスラーム化が進んでいきます。この間、11世紀末に始まった十字軍運動が、レバノンに拠点を置いたため、この地域の人々はヨーロッパ人とくにフランス人との関係を深め、その影響もあって、この地域にあったキリスト教勢力も拡大します。このキリスト教勢力が、後にヨーロッパ勢力がレバノンに進出する足掛かりとなります。20世紀に入ると、レバノンはフランスの支配下に入り、第二次世界大戦中に独立しますが、この間にレバノンはフランスの強い影響を受け、今日でもレバノンの公用語は、アラビア語とフランス語です。ゴーン氏がフランス国籍ももつ背景には、こうした事情がありました。
 第二次世界大戦後、レバノンは金融や観光業で繁栄しますが、相次ぐ中東戦争で多数のパレスチナ難民が流入すると、人口構成の変化などがあって、宗教・宗派間の対立が深刻となってきました。レバノンでは、フランス統治下の1932年に国勢調査が行われ、キリスト教徒が60%、イスラーム教徒が40%という調査結果に基づき、政府の要職や議員数が割り振られました。そしてこれ以降今日に至るまで本格的な国勢調査は一度も行われておらず、今日に至るまで、この1932年の調査結果に基づいて宗教・宗派の勢力図が定められてきました。 こうした中で大量のパレスチナ難民が入り込み、宗教・宗派の対立が激化します。
その結果、1975年から15年におよぶレバノン内戦が始まり、政治も経済も人々の心も深く傷つきました。戦後も、イスラエ軍による空爆、国連軍の駐屯、財政破綻など、私にはレバノンについては混乱のイメージしかありません。映画は、こうしたことを背景としています。極右的な傾向をもつ主人公とパレスチナ難民が些細なことで喧嘩をし、裁判沙汰になりますが、これが国論を二分する紛争へと発展します。しかし当人たちは、いつのまにか理解し合うようになり、彼らの周辺の人々だけが騒ぎ立てるようになります。紛争とか戦争というものは、このように些細なことから発展していくものだと思います。

映画は、幾分コメディー・タッチの裁判映画で、レバノンに生きる人々の心が描かれていました。

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