2019年1月26日土曜日

映画で植民地時代の朝鮮を観て


2016年の韓国の映画で、日本統治時代の韓国を、徳恵翁主(ソン・イェジン)という皇女を通して描いており、私にとっては、大変珍しい映画でした。

 この映画の主な舞台は、日本植民地時代の朝鮮です。朝鮮では、朝鮮王朝(李氏朝鮮 13921910)が、実に500年以上も支配しており、高度で穏やかな文明を築いていました。この時代に、これほど長く続いた王朝はオスマン帝国(12991922)くらいで、さすがにどちらの王朝も内部矛盾が耐え難い状態になりつつあり、朝鮮では外戚が実権を握る勢道政治が定着していました。こうした中で、1863年に高宗が11歳で国王に即位します。しかし彼の治世は、内部の権力闘争と外圧の強化の時代で、結局朝鮮は日本への服属を強めていったため、高宗は1897年に大韓帝国を樹立して自ら初代皇帝となり、独立の意志を示します。しかし、1907年には皇太子に譲位することを強要され、1910年には韓国併合条約で韓国は独立を失います。以後、高宗を含めた韓国の皇族は、日本の天皇家の皇族に組み込まれます。
 結局、高宗は1919年に死亡しますが、その死は毒殺によるものだったという説もあります。いずれにしても、上の写真は前年の1918人に撮られたもので、中央が高宗、右端がこの映画の主人公である徳恵翁主(とくけいおうしゅ/トッキェオンジュ、1912 - 1989年)で、当時まだ6歳でした。1925年、日本に留学し、日本の皇族の一員としての教育を受けます。当時日本は、植民地の皇族を日本に留学させる政策を採っており、彼女の兄の李 垠(り ぎん、イ・ウン)も日本に留学し、また清朝皇帝の弟や娘も日本に留学していました。これについては、以下を参照して下さい。
「清朝の王女に生まれて 日中のはざまで」を読んで
「皇弟溥傑の昭和史」を読んで
 1931年、徳恵は旧対馬藩主・宗家の当主である伯爵宗武志(そう たけゆき)へ嫁ぎ、翌年長女正恵(まさえ)を生みます。しかし結婚前から彼女には統合失調症の症状が出ており、出産後悪化し、戦後15年以上も病院に入院することになります。この間、彼女は何度も韓国への帰国を試みますが、李承晩政権が王族の帰国を望まず、帰国を拒否されます。こうした中で、自称徳恵の婚約者でジャーナリストのジャンハン(金乙漢)が、徳恵を探し出し、1962に朴正熙政権の許可を得て帰国し、1989年に78歳で永眠します。一方、彼女の娘正恵は、結婚後神経衰弱に苦しみ、1956年に自殺しました。
 韓国では徳恵についてほとんど忘れられていましたが、2008年に本馬恭子『徳恵姫-李氏朝鮮最後の王女』が韓国で評判になり、それがこの映画の制作につながったようで、映画の原題は「徳恵翁主」です。この映画では、徳恵は韓国独立運動を支援し、同士である若い将校金乙漢に淡い恋をし、独立運動の拠点上海に亡命しようとしますが失敗し、彼女の人生は事実上ここで終わってしまいます。ただ、この映画はあくまでフィクションであり、彼女が独立運動に関わったという事実は知られていません。しかし、たとえこれらがフィクションであったとしても、ここに語られていることは多くの韓国人・朝鮮人が共有する経験であろうと思います。

お嬢さん(アガシ)
2016年に制作された映画で、R18指定です。時代は、日本が朝鮮を植民地としていた時代で、ある朝鮮人が日韓併合で混乱していた時期に、賄賂を使って大富豪となり、さらに日本の没落貴族の娘と結婚して日本人となり、貴族の仲間入りをしました。この女性が、この家と日本人と貴族という地位を担う唯一の存在でした。この時代には、日本人にも朝鮮人にも、混乱した時代を背景として蠢く人々がたくさんいたのでしょう。
この映画に登場する歴史はこれだけで、日本が悪いとか朝鮮が悪いとかという話はまったくなく、基本的にはこの映画は、倒錯的な傾向を帯びたミステリー映画です。実は私は、この映画のストーリーがよく理解できませんでした。それでもいくつか興味深い場面がありました。この広大な屋敷に住む人は皆朝鮮人ですが、屋敷内では日本語を話すことが求められていましたので、俳優たちは日本語を特訓したそうです。また、日本風と西洋風、時々韓国風の邸宅や、広大な日本庭園はなどが不思議に興味深い残滓、大変興味深く見ることができました。


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