2019年1月19日土曜日

映画で李氏朝鮮を観て(3)


王の運命 歴史を変えた八日間



2016年に韓国で制作された映画で、国王が後継者=世子である息子を殺すという、稀に見る悲劇を描いています。この事件は韓国ではよく知られた事件だそうで、過去に何度もテレビや映画で扱われているそうです。
 李氏朝鮮が清国に服属した後も、朝鮮では相変わらず派閥闘争が繰り返されていました。そうした中で、1724年に即位した21代国王英祖(ヨンジョ、えいそ、- 1776年)は、派閥間のバランスを巧みに維持し、52年にわたって王権を維持しました。1735年、彼は40歳代で初めて王子を得、思悼世子(しとうせいし、サドセジャ)と名付けます。「世子」とは跡継ぎのことです。英祖は、厳しい宮廷で生き抜いていくために、厳しく世子を教育しますが、やがて世子はあまりに厳しい教育に耐えられなくなり、父に逆らい、奇行を繰り返し、錯乱状態になっていきます。
 この間、66歳の英祖は、1759年に2番目の王妃として15歳の貞純王后と結婚しました。貞純王后は一族と結び、保守派と提携して思悼世子の失脚を策動します。王家に弱みがあれば宮廷で陰謀が渦巻き、親子の対立に油を注ぎ、こうした中で父と子の関係は激しい憎悪となり、1762年の悲劇が訪れます。この年、王は息子を米櫃に8日間閉じ込めて餓死させます。映画では、思悼世子の錯乱と苦しみは、何百年にも及ぶ李氏朝鮮の宮廷の矛盾を一身に背負っているかのようでした。この時、まだ10歳の思悼の息子イ・サンが、父の死を目撃していました。そして15年後に祖父が死ぬと、彼が22代の君主となります。

私には、この映画で語られている内容について、史実の部分と創作の部分を区別することが出来ませんが、映画で語られている事件は凄まじい内容であり、何百年にも及ぶ李氏朝鮮における君主と宮廷との関係の一端を垣間見たような気がします。

王の涙 イ・サンの決断

2014年に韓国で制作された映画で、前に観た「王の運命」と内容的に繋がっています。つまり思悼の息子イ・サンの物語で、原題は「逆鱗」で、「君主の怒り」というような意味です。
 父の悲惨な死を目撃した正祖は、激しい怒りを胸に秘め、保守派や貞純太后への復讐を誓っていました。正祖の復讐を恐れる反対派は、当然正祖の暗殺を企てます。映画は、1777年7月28日に起きた国王暗殺未開事件である「丁酉逆変」の顛末を描きます。この事件の後、正祖は反対派と貞純太后を抑えて、派閥の均衡をとりつつも、若い有能な人物を採用して政治改革を進め、世宗に匹敵する名君の一人と称えられるようになります。
 18世紀の李氏朝鮮は、比較的活気のある安定した時代でした。その背景には、壬辰・丁酉の倭乱以降、地主となる庶民や両班となる庶民が現れ、社会が流動化し始めた、ということがあります。また、朝鮮は朱子学の影響で貨幣経済が未発達でしたが、この頃から急速に貨幣経済が進展して社会が活性化します。さらに正祖が実学やヨーロッパの知識の導入を図ったため、この時代に文化も大いに発展しました。しかし、1800年に正祖は僅か49歳で死亡してしまいます。当初毒殺が疑われましたが、病死だった可能性が高いようです。
 正祖のあまりに早い死は、彼の業績のすべてが無に帰してしまいました。彼の死後貞純太后が3年間垂簾聴政を行って権勢を振るい、以後彼女の一族による外戚政治が行われ、これが李氏朝鮮の滅亡に繋がっていきます。

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