2015年8月29日土曜日

映画で上海を観て

はじめに

 二本の映画を通して、上海という都市を観て見たいと思います。「上海」と「ジャスミンの花開く」です。

































今日、上海は人口2500万に近い巨大都市ですが、比較的新しく生まれた都市です。宋代に村があったようですが、北京と杭州を結ぶ大運河が、中国の南北を繋ぐ水運の大動脈で、上海はそこからはずれていました。上海が発展するのは、1840年に始まった阿片戦争以降です。1842年の南京条約で、上海が開港されると、上海は海上輸送の要衝となります。従来、物資は杭州から運河で北京に運ばれていましたが、運河による輸送は非常に手間がかかるのに対し、上海から海上輸送すれば、簡単に天津や北京に物資を運ぶことができます。さらに上海は長江の河口にあるため、内陸部ともつながっているわけです。
 1843年にイギリスが上海で土地を租借し、そこで治外法権が認められたのが租界の始まりで、やがて他の列強も租界を設定し、フランス以外の国は共同租界を設定します。したがって上海には、共同租界とフランス租界が存在することになります。租界では治外法権と行政権が認められ、中国の施政権は事実上及びませんでした。当初、租界は欧米人の町であり、欧米風の街並みが形成されますが、中国内部の治安が悪かったため、多くの中国人が流れ込み、人口も急速に増大します。租界では自由放任主義だったため、さまざまな犯罪組織や裏社会が形成されるとともに、中国では非合法な政治結社が結成されたりしました。1921年に中国共産党が結成されたのは、この上海でした。
 上海に住む中国人の中には、ここを拠点に事業で成功し、大財閥となる者もいました。前に観た「宋家の三姉妹」の宋家は、上海で財閥となった家でした。しかし、低賃金で貧困に喘ぐ多数の労働者もおり、彼らはしばしばストライキを行いました。一方、外国から上海に入るのにパスポートを必要としなかったため、多くの外国人が上海を訪れ、彼らは租界内を自由に移動することができましたので、半日で世界中を歩くことができる、とさえ言われました。こうした多種多様な人々に対応するため、世界中の様々な料理店や茶館、クラブ、カジノ、売春宿など、まさに何でもありの大都会となっていきます。

 1937年に日中戦争が始まると、上海は事実上日本軍の統制下に置かれ、194112月に太平洋戦争が始まると、日本軍は租界に進駐します。映画「シャンハイ」は、その直前の上海を舞台としています。1945年に日本軍が撤収しますが、その後中国の内戦を経て中華人民共和国の支配下に入ると、外国資本は香港に撤収し、資産はすべて没収されます。しかし、上海はその後工業都市として発展し、1978年の改革開放政策により、再び外国資本が導入されて、今日の繁栄を生み出すことになりました。

シャンハイ
2010年のアメリカ・中国合作の映画で、上海を舞台としたサスペンス映画です。時代は1941年で、当時すでにドイツはヨーロッパを制圧し、日本は中国の主要部分を制圧していました。日米対立は深刻となり、日本かアメリカが宣戦布告するかもしれないという情況でした。そんな中で、アメリカの諜報員ポールが、上海にやってきます。彼の目的は、個人的な理由もありましたが、日本の動向を探ることでした。
当時上海にはさまざまな人がいました。当時、上海は事実上日本軍の統制下にあり、タナカ大佐が各国の動向に目を光らせていました。裏社会のドン・アンソニーは、日本軍と協力していましたが、その妻アンナは裏で革命運動を行っていました。彼女の父は、南京事件を批判して、日本軍に殺されたのでした。その他に、ほとんど登場しない謎の日本人女性がおり、彼女はタナカ大佐の愛人であると同時に、二重スパイでもありました。やがてポールは、上海沖に日本の大型空母が停泊していることを知り、まもなくそれが姿を消したことに気づきます。ハワイに向かったのです。もはや手遅れでした。128日日本軍は真珠湾を攻撃し、同時に日本軍が上海に侵攻します。ポールは間一髪で脱出に成功しますが、自由で活気にあふれた上海は、終わりを迎えることになります。

この映画はサスペンス映画なので、歴史的に考えるという程のものではありませんが、それでも当時の上海の風景が再現されており、また太平洋戦争直前の謀略戦は興味深い内容でした。

ジャスミンの花開く

2004年に中国で制作された映画で、上海に住む母娘三代にわたる女性の生き様を描いています。第1章は「茉=モー」、第2章は「莉=リー」、第3章は「花=ホア」が主人公で、この三人の字を合わせると茉莉花となり、これがジャスミンという意味なのだそうです。したがって、原題は「茉莉花開」ということになります。三人とも男運が悪く、三人とも男で失敗し、子供だけが残り、その子がまた同じような失敗を重ねていきます。そして最後のホアに子供が生れたところで、映画は終わります。まるでゾラの小説のようで、男で失敗する遺伝子が組み込まれているかのようです。なお、三人とも同じ女優が演じていました。
本来私は映画で歴史を観ることを目的としているのですが、その意味ではこの映画は失敗でした。「1930年代から1980年代までの母娘三代の物語」というキャッチ・コピーに魅かれてこの映画を観たのですが、歴史はほとんど登場してきませんでした。第1章は1930年代で、日本軍が侵攻する場面が一瞬だけ映し出されましたが、どの事件なのか分かりませんでした。第2章は1950年代で、社会主義の大義が叫ばれていました。第3章は1980年代で、改革開放のもとで出世主義が盛んとなっていました。また、第1章ではモーは女優に憧れ、映画会社の社長の女になって捨てられます。第2章では、リーは共産党員で勤勉な男性と結婚し、挫折します。第3章では、ホアは大学生で日本留学を希望する男性と結婚し、捨てられます。それぞれの男性は、それぞれの時代を象徴する男性だったといえるかもしれません。

これだけなら、舞台は上海でなくてもよかったように思われますが、三人の女性がこれだけ自由奔放に生きられたのは、やはり上海だったからかもしれません。上海には、租界時代の自由な雰囲気が生きており、ここで生まれた文化が、中国全体に大きな影響を与えました。

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