2015年9月2日水曜日

映画「芙蓉鎮」を観て


1987年に制作された中国の映画で、初めて文化大革命を批判した映画として、大変に評判となりました。舞台となった場所は長江流域にある湖南省で、毛沢東の出身地です。撮影は、王村鎮という村で行われましたが、映画では芙蓉鎮という名前が用いられ、あまりに有名になったため、2007年にこの村は芙蓉鎮と名前を改めました。














文化大革命(プロレタリア文化大革命)とは何か、ということについて、私には到底答えらることができせん。1949年に中華人民共和国が成立し、社会主義路線を進めていきますが、官僚の腐敗や貧富の差の拡大が進み、経済発展も思うにまかせませんでした。そういう中で、毛沢東は大躍進政策という思い切った生産拡大政策を打ち出しますが、あまりに強引な政策のため、経済は大混乱に陥り、何千万人もの人々が餓死したとされます。その結果、1959年に毛沢東は国家主席を辞任し、穏健派の劉少奇や鄧小平などが中心となって、大躍進政策を緩和させていきますが、毛沢東にとっては彼らの政策は不満でした。そうした中で、1965年頃から、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動として、文化大革命が始まります。
 文化大革命では、前半では紅衛兵と呼ばれる少年や少女たちが、後半では毛沢東の妻江青女史を中心とする四人組が中心となって、右派とか反動派とか呼ばれる人々が徹底的に粛清されます。この間に、殺されたり、自殺したりした人々は数えきれません。しかし1976年に毛沢東が死に、77年に鄧小平が復活し、文化大革命の終結宣言が行われます。1981年には、文化大革命が誤りであったことが公式に認められますが、その首謀者だった毛沢東を全面的に否定することはできないため、毛沢東については「七分功、三分過」ということになりました。文化大革命については、このブログの「現代史 1章 中国と東アジア」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/06/1.html)を参照して下さい。
 映画は、文化大革命が始まる直前の1963年から始まります。主人公の胡玉音(フー・ユゥーイン)は、二十歳代前半くらいの明るく美しい女性でした。彼女は気の小さい夫とともに、露店で米豆腐を売っており、大変繁盛していました。二人は一生懸命働いて小銭を貯め、自分の店を持つまでになります。しかし1964年に党から政治工作班が送り込まれ、反動分子の摘発を始めました。そこで目を付けられたのが、店を新築したばかりの胡玉音夫婦で、彼らは人民から搾取する新ブルジョワ分子としてつるし上げられ、店も貯めたお金も取り上げられてしまいます。さらに、あの気の小さい夫が、工作班の班長を殺そうとして、逆に殺されてしまいます。すべてを失った胡玉音は、さらに見せしめとして町の掃除人になることを命じられます。はち切れるような笑顔の胡玉音の顔から、笑顔が消えてしまいます。
 この映画には、秦書田(チン・シューティエン)というもう一人の主人公がいます。彼は文化会館の館長だった人物で、いわば知識人でしたが、古い民謡を集めたり、党を批判したこともあって、1957年に右派分子としての烙印を押されます。それ以来、彼は何を言われてもただ微笑むだけであり、人々から軽蔑され、ボンクラと言われていました。そして今や彼も、胡玉音とともに町の掃除を命じられます。二人は、毎日毎日、何年も何年も、人々の軽蔑の視線を受けながら、ひたすら掃除を続けます。秦書田は、いつも穏やかに胡玉音に接し、時には道化役を演じて胡玉音を元気づけます。
 やがて二人は恋をし、密かに結婚し、まもなく胡玉音は妊娠します。しかし党幹部からこれを非難され、秦書田は10年の流刑を言い渡されます。彼は、いつもどんな命令にも、それが運命であるかのように黙々と従います。そして、彼は流刑地へ向かうとき、彼女に「生き抜け、何があろうと生き抜け」と言って去って行きます。この間に胡玉音は一人で男の子を産み、ひたすら町の掃除をしながら子供を育てます。やがて10年の歳月が流れ、秦書田が芙蓉鎮に帰ってきます。この頃には文化大革命は終わっており、胡玉音は取り上げられた店とお金を返してもらい、また店を再開しました。秦書田も文化会館館長への復帰を許されますが、彼はそれを断り、妻の仕事を手伝いながら、静かな人生を歩んでいきます。映画では、二人以外にもさまざまな人々が絡み合い、なかなか見ごたえのある映画でした。

文化大革命をどのように評価してよいのか、私には分かりません。今日では、大躍進政策の失敗で実権を失った毛沢東による奪権闘争であった、という点でほぼ一致しているようです。ただ、革命においては、こうしたことはしばしば起きています。イギリスのピューリタン革命におけるクロムウェルの独裁、フランス革命におけるロベスピエールの独裁、ロシア革命におけるスターリンの独裁などです。革命は単に政府を転覆させるだけで達成できるものではなく、社会の構造や人々の意識を根底から覆す必要があるように思います。こうした恐怖政治は、人々の意識を根底から変える上で一定の役割を果たしているように思います。だからといって、こうした時代に行われた非道が許されるとも思えません。とくに文化大革命は、私にとって遠い昔の話ではなく、私自身の青春時代に隣の中国で起きたことですから、一層客観的な評価が困難となっています。


なお、主人公を演じた劉暁慶は、その後不動産業などの企業を経営するようになり、脱税で逮捕されたそうです。

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