2015年8月19日水曜日

「柔らかいファシズム」を読んで

ヴィクトリア・デ・グラツィア著(1981)、豊下楢彦・高橋進・後芳雄・森川貞夫訳 有斐閣選書、1989
原題は「同意の文化―ファシスト・イタリアにおける余暇の大衆組織」
ファシズムとは何かという問いは繰り返し行われ、未だに決着を見ることができません。ファシズムという言葉については、「ムッソリーニらが提称した思想・政治運動」という狭い意味から、多少横柄な人物を「あいつはファシストだ」というような広い意味に至るまで、あまりに幅広く用いられているため、ますます曖昧になっています。ファシズムという言葉は、「全体主義」「抑圧」「独裁」などといったイメージと結びつきますが、本書はファシズムの別の側面を扱っています。
本書が扱うのは、「労働(ラヴォーロ)の後(ドーポ)」つまり、「トーポラヴォーロ」、平たくいえば「余暇」です。イタリアは後発資本主義国で、極めて多様な世界です。こうした多様な人々を一つの方向に向かせるために、余暇事業団を設立し、国民のあらゆる階層に、スポーツ、リクリエーションなどを組織化していきます。実は、「余暇」の問題については、先進資本主義国でも注目されつつありましたが、国家がこれ程組織的に行うことはありませんでした。本書は、「トーポラヴォーロ」の実態を詳細に論じるとともに、グラムシの強い影響を受け、グラムシの思想の中心である「同意の文化」をタイトルとしています。
結局、この事業はどんな影響をあたえたのか。「ファシズムの余暇組織によって生み出されたイデオロギー的同意は表面的で、最終的にはもろいものにならざるをえなかった。結局のところ、市民社会へのかくも明白な国家介入は、きわめて矛盾する結果をもたらしたとさえ言えるであろう。すなわちそれは一方で、国家の社会的・イデオロギー的統制装置へのブルジョワジーの従属を際立たせるとともに、他方において広範な労働者大衆に、国民的な文化形態の外見上は脱階級的で非政治的な性格についての深い―そして健全な―懐疑心を抱かせることになったのである。」これが本書の結論です。
ファシズムについては、さまざまな説明がなされ、それぞれの説明はそれなりに理解できるのですが、それらの説明をすべて集めてもなお納得できません。本書で述べられているように、ファシズムはもっと多様なものであるように思います。同じ時代に、世界の各地で似たような現象が起こっており、もっと大きな歴史の流れの中で、ファシズムを捉える必要があるように思います。

私は、個人的には心理学者のエーリヒ・フロムの説明が、分かりやすいように思います。「ファシズム(ナチズム)を少数者による狂気と恐怖支配とするのは間違いで、近代の人間は自由を得て伝統的な権威や束縛を失った結果、孤独・無力・恐怖となり、「自由からの逃走」として自ら権威を求めるファシズムや、更には多くの民主国家においても強制的同一化が発生した。」(ウイキペディアより)それは、かつて農村から都市に流れ込んだ人々の孤独と同じではないでしょうか。そして20世紀に、人々は突如大衆社会という渦に巻き込まれて孤独と恐怖に襲われ、その結果生まれた混乱状態の中でファシズムが形成されていったのではないでしょうか。

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