2014年2月1日土曜日

映画で日本神話を観て

「日本誕生」


 日本では、戦国時代以前に関する映画が非常に少なく、とくに古代史に関する映画は皆無に近いといっても過言ではありません。私が知る限り、時代的に最も古い映画としては、「卑弥呼」があります。この映画は1974年、篠田正浩監督、岩下志麻主演の映画で、VHS版しかなく、残念ながら私はこの映画を観ていません。私が観たのは、1959年三船敏郎主演の「日本誕生」で、日本の建国神話を扱っています。
 世界中のどの地域にも神話があり、それ自体とても美しいものです。神話は、民間で語り伝えられてきたさまざまな物語が、長い年月の間にさまざまに変形され、あるいは何らかの意思によって統一されて編纂されたりしました。日本の建国神話としては、8世紀の初め頃に編纂された「古事記」や「日本書紀」に記されているものが、代表的なものです。ただ8世紀の初めというのは、日本で天皇制が確立されつつあった時代であり、当然両書は天皇制を正当化するために編纂され、伝承されていた神話のねつ造や創作が行われました。さらに、明治時代以降においても、天皇制を正当化するために神話が利用され、学校教育でも取り上げられました。また、日本軍国主義の正当化のためにも神話が利用され、第二次世界大戦で日本は壊滅的な敗北をきっしました。その結果、戦後神話を取り上げることはタブーとされ、神話は多くの人々から忘れ去られていきました。確かに神話を政治の正当化に利用することは許されないことです。また211日の建国記念日は神話上の話に基づいており、あまり好ましいこととは言えないと思います。しかしそうした政治的な関わりを一切否定し、神話を日本の文化として学ぶことは大切なことだと思います。

天地開闢(かいびゃく)

 そこで、「古事記」「日本書紀」などに基づいた日本の建国神話について、簡単に説明したいと思います。まず、太古においては天と地が分かれることなく混沌としていたが、やがて天と地が分かれ、神々が形成されます。こうした天地が開かれる話は世界各地にあり、旧約聖書でも語られていますが、旧約聖書ではまず神があり、神がすべてを創造することになっています。ついでイザナギとイザナミの両神が矛で混沌をかき回し8つの島をつくります。これが国生みの神話です。その後両神は次々と神を生み出し、やがてアマテラスが生み出され、高天原の支配を委ねられます。彼女は高天原で人間と変わらぬ生活をしていますが、この点ではギリシア神話と似ています。

アマテラス                            神武天皇
















 スサノウは、アマテラスの子孫が地上を治めるための地ならしの役割を果たしたと思われます。その後アマテラスの子孫ニニギが天降して下界を支配するようになり、さらにその子孫である神武天皇が東征を行って、ヤマト政権を樹立することになります。紀元前660211日のことでした。もちろんこれは神話の上での話で、実在の可能性がある最初の天皇は崇神(すじん)天皇です。彼は神話の上では紀元前12世紀ころとなっていますが、実際には34世紀の人物で、しかも当時は天皇という名称は存在せず、「大王(おおきみ)」と呼ばれていようです。

 この物語には、ヤマト政権を正当化するという明白な意図が認められます。この神武天皇以来今上天皇に至るまで125代、万世一系の原理に基づいて天皇の血筋が保たれていることになっています。もちろん「古事記」「日本書紀」が編纂される以前に、これ以外の多数の伝承が伝えられていたと思われますが、今日ではその多くが忘れ去られています。逆に考えれば、「古事記」「日本書紀」が編纂されたことによって、これらの物語が、かなり歪められたとはいえ、今日まで残ったということは幸運でした。そういう視点で見れば、「古事記」「日本書紀」も日本のすばらしい伝承として味わうことができると思います。

 ただ、明治以来日本の敗戦に至るまで、天皇制の擁護のため、この神話が事実であるとして、学校教育で大々的に取り上げられたことは問題です。下に掲げたような絵の多くは明治時代に書かれたものであり、当時の政権がいかに神話を重視していたかということがわかります。そのために戦後、日本人には神話に対する拒絶反応が根付いてしまいましたが、もうそろそろ、そうした精神構造から抜け出しても良いのではないかと思います。


雄略天皇


















ヤマトタケル)大阪府堺市の大鳥大社の銅像

 45世紀の日本では、各地に豪族が割拠していましたが、徐々にヤマト政権が頭角を現すようになります。この頃中国の史書に「倭の五王」と呼ばれる君主が記されますが、このことはヤマト政権がしだいに倭を代表する権力になりつつあることを示しています。とはいえ、地方勢力の力はまだ強力で、ヤマト政権はさかんに征服戦争を進めていました。こうしたことが、ヤマトタケルの伝説を生み出したのではないでしょうか。

一方、ユーラシア大陸では、3世紀以来内陸アジアの遊牧騎馬民族の活動が活発となり、西方ではゲルマン民族の大移動を誘発し、5世紀には西ローマ帝国が滅亡しました。そうした中で、フランク王国がしだいに力をつけ、ようやく西欧世界が姿を現すことになります。また西アジアも遊牧民族の影響を受け、ササン朝ペルシアやグプタ朝がその対応に苦慮します。中国も遊牧騎馬民族の侵入に苦しめられ、3世紀から6世紀まで分立・抗争の時代となります。日本もこの動乱と無関係ではいられませんでした。当時北方から高句麗が朝鮮北部に侵入し、朝鮮南部と関係の深かった倭と対立します。スサノオが下界に追放されたとき、最初に赴いたのが朝鮮の新羅であったことは、何を意味するのでしょうか。

 さて、映画に戻ります。スサノウとヤマトタケルは、ともに武勇にすぐれ、下界の支配に大きな役割を果たしていること、そして何よりも天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)をもっていることなどで共通しています。映画では、三船敏郎がスサノウとヤマトタケルを演じており、この両者の活動が時空を超えて並行して語られます。

 スサノウがアマテラスに乱暴を働いて下界に追放され、一方ヤマトタケルは兄を殺したため父である景行天皇に疎まれ、九州の熊襲の討伐を命じられます。当時彼はまだ16歳でしたが、熊襲討伐に向かいます。ヤマトタケルがクマソタケルを倒すため女装して彼に接近し殺害したことは、よく知られたエピソードですが、むくつけき三船敏郎の女装した姿は、見るに堪えないものがありました。その後、故郷に帰りますが、休む間もなく東国遠征を命じられます。出発にあたって彼は伊勢神宮に行き、そこに奉納されていた天叢雲剣を受け取ります。東国征服の過程で火攻めにあい、剣で草をなぎ倒して危機を脱したことから、この剣は草薙剣と呼ばれるようになります。東国を平定した後、帰路伊吹山の神と戦いますが、その後病となり、現在の亀山あたりで死亡したとされます。30歳でした。死後、ヤマトタケルは白鳥となってヤマトに向かいます。なお、白鳥となったヤマトタケルが最後に降り立ったとされる地に、大鳥大社(堺市)が建立されました。













 映画では、景行天皇とヤマトタケルとの父子の愛憎やヤマタトケルを退けたい大王の側近たちの暗躍が伏線として描かれています。結局、景行天皇は「日本書紀」によれば143歳まで生きたことになり、そのあとを継いだ成務天皇は103歳まで生き、さらにヤマトタケルの子仲哀(ちゅうあい)天皇が第14代天皇となっていますが、死亡年代などから逆算すると、彼はヤマトタケルの死後36年目に生まれたことになり、相当出鱈目で実在性が疑われています。また仲哀天皇の皇后である神功皇后は朝鮮出兵を行ったことで有名ですが、その実在性も疑われています。要するにこれらの天皇は、ヤマトタケルを描くために創作されたのではないかと推測されています。ヤマトタケルもまた実在の人物とは言えず、この時代の征服戦争でのさまざまな英雄物語を、ヤマトタケル一人に集約させたのではないかと推測されています。ただ物語としては大変おもしろいもので、天皇制とは無関係に、日本の伝承文化の一つとして味わえばよいのではないかと思います。
 
 この映画は、東宝が総力を結集して政策した映画で、豪華キャスト、多額の製作費、特撮の駆使、180分という長時間など、いろいろと話題になった映画でした。しかし16歳のヤマトタケルを三船敏郎が演じること自体に無理があり、個人的にはあまり出来の良い映画とは思いませんが、手軽に日本神話の世界を垣間見るのには役立つ映画だと思います。


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