2019年4月6日土曜日

映画「四川のうた」を観て















 2008年の中国・日本による合作映画で、同じ監督が2006年に「長江哀歌」を制作しています。「長江哀歌」は、長江中流における山峡ダムの建設(1993年着工、2009年完成)により、水没する町や住民たちの姿を描いています。「四川のうた」も、成都での国営工場の廃止にともなう人々の思いを描いており、どちらの映画も、近代化により翻弄される人々の姿を描いています。なお、長江については、「變臉 この櫂に手をそえて」


映画の舞台となった四川省は、長江上流に位置し、その州都である成都は古い歴史をもった都市で、独自の文化をはぐくんできました。成都は、明末清初期の混乱期に人口の9割が殺戮されたそうですが、その後100年かけて各地からの移民を受け入れ、復興しました。中華人民共和国が樹立されたころ、軍需工場の多くはかつて日本が支配していた東北地方にありました。ところが朝鮮戦争が勃発すると、朝鮮半島に隣接する東北地方に軍需工場を置いておくことは危険なため、1950年代の後半に内陸部に軍需工場を移設することになりました。
 こうして成都に労働者3万人が働く大工場が建設され、成都の発展と中国経済の発展を牽引しました。これ程の規模の工場では、労働者の買い物、娯楽、教育など、日常生活に関わるほとんどすべてが会社内部で完結しており、人々は会社の外に出ることなく、生活することができました。しかも軍需工場は安全保障上重要でしたので、中国の他の地域が飢饉であっても、この工場には食料が十分に支給されました。つまり、この工場の労働者とその家族たちは、激動する中国にあって比較的平穏に過ごすことができたのです。
 しかし改革開放が進み、民間企業が成長すると、国営工場の非効率性が批判されるようになり、こうした中で2007年に工場が閉鎖されることになりました。その結果、3万人の労働者が解雇され、その家族を含めて10万人の人々が故郷を去ることになります。映画は、そうした人々の内の何人かを取り上げ、インタビューという形式で、彼と工場との関りをドキュメンタリー風に述べます。初期の労働者の多くは東北地方の出身であり、末期の労働者の多くは成都で生まれ育ちました。これらの人々が、様々な思いで工場で暮らし、そして去っていきます。これらの人々の思い出は、それぞれの時代に流行した歌と結びついていました。その歌の中に、山口百恵主演の人気テレビドラマ「赤い疑惑」の主題歌があり、その歌は一人の労働者の苦い恋の思い出と結びついていました。
これらを通して、50年におよぶ成都の国営会社の歴史が語られます。それは、時代遅れとなった国営会社の物語りではなく、多くの人々が人生を紡いだ場所でもありました。また仕事は味気ない流れ作業ではなく、優れた熟練工の世界でした。しかしそのような世界は、今や時代遅れとなりつつありました。中国の近代化を、こうした視点で見るのも、大変興味深いことです。

なお、今日の成都は、2000年に始まった西部大開発の拠点都市として、人口1500万人を超える大都市に発展しています。

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