2018年4月4日水曜日

「ウィトゲンシュタイン家の人びと 闘う家族」を読んで

アレクザンダー・ウォー著、2008年 塩原道緒訳、中央公論新社、2010
 私が名前だけ知っているウィトゲンシュタインという哲学者の名を冠したタイトルにひかれて読んでみました。ウィトゲンスタインは、ウィーンで生まれ、従来の哲学的方法を根底から否定し、新しい分析哲学に道を開いたとされますが、私にはほとんど分かりません。彼を高く評価していたイギリスの大哲学者バートランド・ラッセルがウィトゲンスタインの唯一の著書「論理哲学論考」に序文を書きますが、この序文を読んだウィトゲンスタインは、ラッセルが自分の哲学についてまったく理解していないことを知り、愕然としたそうです。ウィトゲンスタインの哲学が後世に与えた影響は絶大ですが、一般的には彼自身より、彼に関する突飛なエピソードの数々の方が有名です。例えば、大学の研究者になるより、小学校の教師や庭師になることを望んだ、などです。
ウィトゲンスタイン家はユダヤ人商人を祖先にもち、19世紀末のカールの時代に鉄鋼業で成功して大富豪となりました。そして本書はカールの9人の子供たちの物語で、哲学者ウィトゲンスタインはその末っ子です。この中で最も目立った存在は8人目のパウルで、ピアニストととなり、戦争で片腕を失ってからもピアニストを続けて、称賛されました。末っ子のルートウィヒは、頭がよいことは確かでしたが、当時はこの兄弟たちのなかでは、一番目立たない存在でした。
彼らが生きた時代は、ハプスブルク朝の帝都ウィーンの繁栄時代に始まり、二つの世界大戦を経験し、その間にハプスブルク朝の滅亡とナチスの支配を経験することになります。それはまさに激動の時代であり、特にユダヤ人にとっては困難の時代でした。そもそもウィトゲンスタイン家の人びとは、自分たちをユダヤ人だと考えていませんでした。ウィトゲンスタイン家は祖父の時代にキリスト教に改宗し、ユダヤ人以外の人との結婚も行われていました。ところが、1935年のニュルンベルク法によれば、ユダヤ人とは祖父母に少なくとも三人のユダヤ人がいる場合とされ、さらに祖父母がキリスト教に改宗していても、法律上ユダヤ人とみなされるということです
ウィトゲンスタイン家の人びとにとって、これはまさに青天の霹靂でした。この困難な時代にあって、ウィトゲンスタイン家の人びとは、それぞれの立場でそれぞれの闘いを進めていきます。天才哲学者ルートウィヒもその一人でした。

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