2018年4月14日土曜日

映画「北京の恋」を観て


2004年に中国で制作された映画で、「四郎探母(しろうたんぼ)」という京劇の演目と重ねて、中国の男性と日本の女性との恋を描いています。
「四郎探母」とは、今から千年ほど前、宋と遼が激しく争っていた時代に、軍人の家柄だった8人の息子のうち4人が戦死し、四郎は敵に捕らえられますが、名前を偽って生き延び、鉄鏡公主と結婚します。15年の歳月が流れたのち、四郎は国の母に一目会いたくなり、鉄鏡公主に自分の出自を明かし、必ず帰ると約束して母の下に行きます。その後、色々あって、四郎は妻の下に帰ってくるという話で、要するに国の違いを超えて男女の愛が貫かれたという話です。
映画は、橋本梔子(しこ)という二十歳くらいの日本の女性が、京劇に憧れて北京を訪れたところから始まります。彼女は祖父の紹介で何冀初という京劇の師匠の家に住み込み、京劇の練習に励み、やがて師匠の息子何鳴と愛し合うようになります。そしてこの頃から、なぜ祖父が彼女を何師匠のもとに送ったのかが明らかとなってきます。日中戦争中、祖父は兵士として中国戦線におり、たまたま捕らえた中国兵を処刑しました。この中国兵が死ぬとき、祖父に自分の息子を探してくれと頼みます。そして何師匠がその息子だったのです。
 この時代でも中国の人々には日本人を憎む気持ちがありましたが、それでも日本人のしたことは遠い過去こととなっていました。しかしこれは厳しい現実でした。実の娘のように可愛がって京劇を教えた梔子が、自分の父親を殺した日本兵の孫だったのです。祖父は孫を通して日本人と中国人との和解を期待したのですが、それはあまりにも残酷でした。梔子も師匠も息子も悩み苦しみますが、日中戦争は彼女には何の関係もないことでした。結局、師匠は彼女の願いを受け入れ、梔子と息子に「四郎探母」を演じることを許します。国境を越え、戦争の恩讐を越えて、千年前の「四郎探母」が現在と重なるように演じられる中で、映画は終わります。

 ストーリーの構成には少し無理があるように感じましたが、それでも予想外の結末に感動しました。4年前に制作された「戦場に咲く花」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/11/blog-post_4.html)に比べて、日中の相互理解は一層進んでいるように思われました。なお、主演の前田知恵は、中国映画「さらば、わが愛」などに感銘し、高校卒業後単身中国に渡って中国語と演劇を学んだそうです。私は気づきませんでしたが、「戦場に咲く花」に出演していたそうで、多分主人公の菊地浩太郎の妹ではないかと思います。


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