2018年4月21日土曜日

映画「風の馬」を観て


1998年にアメリカで制作された映画で、チベットでの中国による人権弾圧を描いた映画です。
 チベットは、ヒマラヤ山脈や崑崙山脈に囲まれ、平均標高4500メートルに及ぶ高地です。古くからインドとの関係が深く、インドから仏教を学び、インドで仏教が廃れた後も、独自のチベット仏教=ラマ教が発展します。ラマ教では、16世紀ころから、観音菩薩の化身とされるダライ・ラマがチベットの聖俗両権を併せ持つようになります。一方、中国とチベットとの関係も古く、チベットは独立国家となったり、中国の支配を受けたりを繰り返しますが、清朝時代には概ね清朝の宗主権下に置かれていました。1911年中国で辛亥革命が起きて清朝が崩壊すると、チベットは独立宣言を行い、これに対して国内が混乱状態にあった中国にはどうすることできませんでした。
 ラマ教では、ダライ・ラマが死ぬとその魂は転生するとされます。1933年にダライ・ラマ13世が死ぬと、1939年に中国の農村で4歳になったダライ・ラマ14世が「発見」されます。1949年に中華人民共和国が成立すると、翌年人民解放軍がチベットに侵入し、1951年にチベットの「解放」を完了します。これに対して各地で抗中運動が起き、中国軍はこれを徹底的に弾圧して、多くの人々が虐殺されたとされます。こうした中で、ダライ・ラマ14世は1959年にインドに亡命し、そこにチベット亡命政府を樹立します。その後も抗中運動は繰り返され、これを中国が厳しく弾圧するという構図が続き、これがこの映画の背景となっています。
 幼いドルジェとドルカという兄妹と従妹のペマが、1979年にある村で遊んでいる場面から、映画は始まります。そこへ中国兵がやって来て、祖父を射殺して去っていきました。祖父が、「中国人帰れ」というビラを壁に貼ったからだそうです。祖父はいつも孫たちに言っていました。「水や大地や空に多くの魂が宿っている、魂は私たちを見守ってくれる、だから多勢の馬の背に願いを乗せて届けるんだ、祈りの旗を掲げ、山の頂上や峠の道から空に向かって紙吹雪まく。」要するに「風の馬」に願いを乗せよ、ということです。
 映画の舞台は、1998年のチベットの首都ラサに移ります。兄のドルジェは抗中運動に挫折して酒に溺れ、妹のドルカは中国人の恋人を通して歌手として売り出すことを期待していました。中国支配という厳しい現実の前に、いつのまにか二人とも、祖父の「風の馬」の話を忘れてしまっていました。ところが、ラマ教の尼僧になっていた従妹のペマが、街中で突然信仰の自由を求めてデモを始め、彼女は逮捕されます。チベットでは、ラマ教の信仰そのものは禁止されていませんが、インドに亡命中のダライ・ラマ14世を崇拝したり、その写真を飾ることは禁止されていました。しかしラマ教の信仰とダライ・ラマの崇拝は一体化しており、ダライ・ラマ崇拝を否定することはラマ教の信仰を否定することでした。
 ペマは激しい拷問を受け、瀕死の状態でドルジェの家に担ぎ込まれます。この時ドルジェとドルカは「風の馬」の話を思い出しました。ドルジェは町で知り合ったアメリカ人旅行者エミーに頼み、ペマが自分の身に起きたことを語る場面をビデオに撮り、それをエミーを通じて国外に持ち出そうとしました。結局、エミーはビデオを没収され、持ち出しには失敗し、そのためドルジェたちの行為が当局に知られてしまいます。その結果、二人はチベットを脱出することになり、これにはドルカの恋人だった中国人青年も協力してくれました。こうして二人は、ヒマラヤを越えて、ネパールからインドへと歩いて脱出します。そして国境地帯で、彼らは多くの馬の風が舞っているのを目撃しました。
 ドルジェやドルカのようにチベットから脱出する人々は、毎年相当いるようです。たまたまこの映画の監督の姪が、ネパールでチベット語とチベット文化を勉強しており、実は彼女はチベットで民衆のデモを撮影して逮捕されたことがあり、この女性がエミーのモデルとなったそうです。もしかしたら彼女は、チベットからの亡命者の手助けをしているのかもしれません。
 また、映画ではチベット人の警官がチベット人を弾圧したり、チベット人がスパイとなって他のチベット人を密告したりる場面が出てきます。しかしこのことで彼らを責めることはできないでしょう。ドルジェやドルカも、彼らと似たような生活をしていたからです。誰もが、生きていくために必死なのです。

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