2016年1月20日水曜日

「カナダの歴史」を読んで

木村和男、フィリップ・バックナー、ノーマン・ヒルマー共著、1997年、刀水書房
 サブタイトル「大英帝国の忠実な長女 17131982年」
 本書は、カナダの特色を「イギリス性」にあるとして、カナダの歴史を大英帝国との関係で、通史的に叙述したものです。私が知る限り、カナダ史を扱った専門書はあまり多くないと思います。
もともとイギリスとフランスはニューファンドランド沖合の漁業権を巡って争っていましたが、スペイン継承戦争の結果締結された1763年のパリ条約でカナダがイギリス領となります。その後、イギリスはカナダへの入植を進めますが、アメリカ植民の場合13植民地を希望する人が多く、イギリス領カナダではフランス人の比率が圧倒的に多いというのが実情でした。
 カナダがイギリス性を強めていった大きな理由は、アメリカ合衆国の存在にありました。まず、アメリカ独立戦争の際に王党派として戦った人々の一部はカナダに亡命します。その後カナダは、常にアメリカ合衆国の膨張圧力に晒されます。例えば19世紀半ばに、西部のオレゴンの境界を巡って対立し、さらにアメリカ合衆国がロシアからアラスカを購入したため、カナダは危機意識を強めます。こうしたことを背景に、カナダにも国民意識が形成されてくる分けですが、その国民意識の特色は、アメリカ合衆国との違いを明白にする「イギリス性」を強調することでした。
 しかし、20世紀に入ると、イギリスはカナダよりアメリカ合衆国との関係を重視するようになり、カナダもアメリカ合衆国との経済関係がますます強化され、イギリスとの関係が希薄になっていきます。そして1982年、カナダは自主憲法を制定し、これまでイギリス議会が保持していたカナダ憲法の修正権は消滅します。さらにこの年、イギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド紛争が起きますが、カナダでは、イギリス側に立って戦うべきだという世論は、ほとんど生まれませんでした。
 「熟年のカップルとしての英加両国は、離婚こそしなかったが、別れ別れに住むようになった。両国は共に、NATOとコモンウェルスのメンバーであり続けている。両国間の貿易は輸出入合わせて約45億ドルという相当の額ではあるが、いまではイギリスでもないヨーロッパでもない日本が、カナダにとって第二の通商相手国となっている。いまでも多数のイギリスからの移民がカナダに流入しており、その数は他のどの国からの移民よりもずっと多い。英加双方の個人や諸グループは、文化的、専門的に広いネットワークを形成し、協同している。しかし、一つの家族としての意識は、1899年、1914年、39年当時とまったく変わってしまったし、これからも決して元には戻らぬであろう。」


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