2019年10月23日水曜日

「〈新〉弥生時代」を読んで

藤尾慎一郎著 2011年 吉川弘文館
 弥生時代は、紀元前5世紀に始まるとされてきましたが、21世紀に入って放射性炭素年代測定により、弥生時代の始期が500年早まることになりました。私は、DNAとか放射性炭素年代測定というような「科学的」手法は、私自身があまり理解できていないというコンプレックスもあって、あまり好きではありません。何だか、歴史学という土俵に突然ずかずかと上がり込み、新事実を突きつけ、私たちはそれにひれ伏すしかありません。
 弥生時代の始期が500年早まったため、やっかいな問題がおきてきました。まず、これによって縄文時代と重なる時代が生まれたということです。これについては、私はこの程度の重なりは当然だと思います。王朝や国家の交代とは違い、社会には長い移行期があって当然です。移行過程は地域によって異なるでしょうし、時には縄文人と弥生人が混在していたとしても、それ程不思議には思えません。かつてはネアンデルタール人とクロマニョン人が混在していた時代があったし、現在でもアナログ人間とデジタル人間が混在しているわけですから。

また、弥生時代の始期が早まったことで、従来の弥生=稲作=鉄器という図式が壊れてしまいました。しかしこうした図式そのものを、考え直す必要があるように思います。もちろん考古学には長い論争の過程があり、私のようなド素人がいい加減なことを言うことは慎まねばなりません。それにしても、縄文時代はおっとりとしていましたが、弥生時代になって、急に忙しなくなってきたような気がします。

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