2019年5月4日土曜日

中国映画「海神」を観て

2017年に制作された中国・香港の合作映画で、倭寇を討伐した明の名将・戚継光(せきけいこう)の活躍を描いと歴史アクション映画で、原題は「蕩寇風雲」です。 映画の舞台となった時代は、字幕に嘉靖35年とあるので、1556年頃ということです。この時代については、「映画で中国史を観る 「大明王朝-1566-嘉靖帝(かせいてい)と海瑞(かいずい)」」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_4967.html)を参照して下さい。
 13世紀以来活発化した倭寇の活動は、1404年の勘合貿易の開始により終息しますが、16世紀になると再び活発化します。その理由の一つは、中国で経済が発展し貿易への需要が高まったのに対し、明王朝は海禁政策を強化したからです。したがってこの時代の海賊は、中国人を中心とした密貿易集団でしたが、その背景に松浦(まつら)党という日本の戦国武将がいたようです。松浦党は瀬戸内水軍の流れを汲み、映画によれば、彼らの活動の目的はもはや単なる略奪ではなく、中国で得た富で戦国武将としての地位を確立することだったようです。私はこうした事情をよく知りませんが、この映画はこれをかなり詳しく描いており、大変は興味深いものでした。
 戚継光は勇敢な軍人だったたけでなく、敵を研究し有効に戦うためのさまざまな工夫をします。例えばよく切れる日本刀に対抗して竹やりの集団を配置したり、泥沼を移動するためにスキー靴のようなものを考案したり、火縄銃に対抗して三眼と呼ばれる銃を使用したりして、僅かな兵力で倭寇の大軍を翻弄します。その結果松浦党の軍師は、二度とこんな野心は起こすなと言って君主を帰国させ、自らは死に臨んでいったそうです。結局、天下を統一した豊臣秀吉が海賊禁止令を発布したため、倭寇は消滅していくことになります。

 戚継光は武勇に優れていると同時、大変な恐妻家だったそうです。彼は夫人に妾を持たぬことを約束させられていましたが、密かに妾を二人もち、それぞれに子供までもうけていました。怒った夫人が妾も子供も殺そうとしましたが、戚継光は夫人の弟に夫人を説得させ、妾も子供も生き延びました。映画ではこの場面はありませんでしたが、倭寇との決戦の時、夫人は武装して女性軍団を率いて戦います。こうした事実があったかどうか、私は知りませんが、映画での戚継光という人物は英雄豪傑というより、少しとぼけたところのある憎めないやつ、という感じの人物でした。

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