2019年5月25日土曜日

映画でアイルランドの独立を観て

アイルランド独立の歴史について
 ここではアイルランドの歴史全体を振り返りません。アイルランドは17世紀半ば以降、イギリスの苛烈な植民地支配を受けてきました。実はイギリスにとっても、アイルランドは後に全世界に植民地をもつ大英帝国の最初の植民地であり、イギリスが植民地帝国を築く上での実験場ともなりました。アイルランドの歴史については、このブログの以下の項目も参照して下さい。
「アイルランド史入門」を読んで(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/09/blog-post_23.html)
映画でアメリカを観る(4) 遥かなる大地へ(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/02/blog-post_7html)
映画「ヴェロニカ・ゲリン」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/02/blog-post.html)

 20世紀に入ると、アイルランドでも独立運動が盛んとんなり、やがてデ・ヴァレラがその中心となりました。デ・ヴァレラは、1882年にアメリカで生まれ、数学者であり教育者であると同時に、20世紀にはアイルランド独立運動を指導し、独立後はアイルランド政府の多くの要職を担い、アイルランド国家の形成に不可欠の存在となります。しかし彼には致命的弱点があり、それは1916年にアイルランド独立を目指して起きたイースター蜂起で露呈されました。確かに彼は優れたリーダーシップを持っていましたが、行動において計画性がなく、絶体絶命の状況の中で弱気になる傾向があったようです。この欠点を補ったのが、マイケル・コリンズです。
マイケル・コリンズ

1996年制作の映画で、イギリス・アイルランド・アメリカの合作です。
 1916年のイースター蜂起は惨めに失敗し、多くの活動家が捕らえられ、処刑されました。この時デ・ヴァレラも逮捕されますが、彼はアメリカ国籍をもっていたため、処刑を免れました。そしてこの時、最大の指導力を発揮したのが、マイケル・コリンズでした。
 コリンズは1890年に8人兄弟の末っ子として生まれ、父の影響を受けてアイルランド人の自由に強い関心をもつようになりました。彼は長身で、堂々たる体格の青年に成長しました。二十歳ころに独立運動の組織に入り、1916年のイースター蜂起で非凡な才能をしめします。蜂起の失敗後、彼はアイルランド義勇軍を率いてゲリラ活動を展開し、デ・ヴァレラを脱獄させ、イギリスを散々苦しめます。彼はいつもスーツを着、ネクタイを締めて、自転車で駆け回って活動を指揮していました。1919年にイギリスが総攻撃を開始すると、コリンズはアイルランド義勇軍をアイルランド共和国軍と改名し、ゲリラ戦を仕掛けてイギリス軍を疲弊させます。これがアイルランド独立戦争です。
 1921年にイギリスが話し合いを提案し、コリンズがアイルランドの代表として会談に出席します。その結果イギリス・アイルランド条約が締結されますが、その内容はアイルランドに自治を与えるとともに、イギリス人が多く居住する北アイルランドを分離するというものでした。コリンズはこの条約が国内で批判されることを予測していましたが、まず一歩進むことが大切だとして、条約に署名し、1922年にアイルランド自由国を建国します。これに対してデ・ヴァレラら反対派はコリンズと決別し、内戦が勃発します。そして内戦のさ中に、コリンズはゲリラの襲撃により殺害されます。享年31歳でした。この映画の冒頭で、「彼の人生は、勝利と血と悲劇に満ちた時代そのものだった」と語られます。
 デ・ヴァレラはロンドンでの会談に自らは出席せず、コリンズを代表として出席させました。映画では、デ・ヴァレラはロンドン的での交渉結果を予想して、それをコリンズの責任にしようとした、と描かれています。その真偽は分かりませんが、その結果起きた内戦により多くの虐殺と無意味な破壊が行われ、アイルランドは疲弊してしまうことになります。

 映画では史実と異なる描写が多いとのことですが、私にはどの部分が異なるのか分かりませんでした。映画はコリンズを英雄として扱い、デ・ヴァレラを裏切り者として描いており、多分その部分に問題があるのだと思いますが、全体としては興味深く観ることができました。

ジミー、野を駆ける伝説
2014年に制作されたイギリス・アイルランド・フランスによる合作映画で、1930年代
アイルランドの活動家ジミー・グラルトンについて描かれています。
アイルランドは、1922年にアイルランド自由国が建国された後も内戦が続きますが、1930年代には事実上独立を達成します。私が知るアイルランドの歴史はここまでで、これでアイルランドはハッピー・エンドだと思っていたのですが、この映画を観て愕然としました。アイルランドの社会は、独立以前と何も変わっていなかったのです。独立以前にアイルランドがイギリスに対して抱えていた問題は三つありました。第一はイギリスから自治の獲得で、これはアイルランド自由国の樹立で一応解決に向かいました。第二はイギリスのプロテスタント支配に対するカトリックの反発で、これも自治権獲得でプロテスタント支配は終わりましたが、その後もカトリック教会による教区支配は続きました。第三は土地問題で、独立以前にはアイルランドのほとんどすべての農地をイギリスの不在地主が所有し、農民は貧困にあえいでいました。そしてこの問題が独立後どうなったのか、私は知りません。映画を観ると、イギリス人地主は去ったものの、結局富裕なアイルランド人がその土地を手に入れ、農民は相変わらず小作人として貧困に喘いでいたようです。
1920年代に、独立運動の活動家だったジミー・グラルトンは、故郷の村にホールを建設し、そこで村人の有志がダンス・パーティーを開いたり、絵画教室や音楽教室などを開いたりして、村人の精神生活を向上を図るようにしました。しかし精神問題はカトリック教会の管轄であり、人々の多くは敬虔なカトリック教徒ではありましたが、教育を含め、あらゆることがカトリック教会によって支配されていました。したがってホールの建設は管区教会の既得権を侵害するものですので、司祭はあらゆる手を使って妨害し、結局ジミーはアメリカに亡命することになりました。

1930年代にジミーは故郷に帰り、映画はこの時代のジミーの活動を描いています。彼は年老いた母と静かに暮らすつもりでしたが、人々から請われてホールを再建し、また地主に土地を追われた農民を助けたりして、再び当局や教会の反発を買います。ホールは焼かれ、再び警察に追われ、結局アメリカに帰ることになりました。このようなジミーの姿を観ていると、前に観たマイケル・コリンズの英雄物語が馬鹿馬鹿しく思えます。今日のアイルランドの民衆がどのような状況に置かれているのか知りませんが、相変わらず貧富の差は大きく、カトリック教会の影響力は強いようです。

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