2019年3月30日土曜日

映画「ユリシーズの瞳」を観て

1995年制作のギリシア、フランス、イタリアの合作映画で、この1世紀近くにおよぶバルカン半島の混迷を時空を超えて描き出しています。1995年という年は、ボスニア紛争が一応終結した年で、そこから90年遡った1905年との間を主人公が時空を超えて放浪します。なお、バルカン半島やボスニア戦争については、このブログの「映画でユーゴスラヴィアの解体を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/07/blog-post.html)「映画でボスニアを観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/11/blog-post_12.html)を参照して下さい。
映画は、ギリシア出身のアメリカの映画監督が、故郷のギリシアを訪ね、幻の未現像のフィルムを求めてバルカンを彷徨するという話です。この幻のフィルムとは、マナキス兄弟という二人の映画監督が、1905年に撮影したとされるドキュメンタリー映画のフィルムだそうで、このフィルムはバルカンで初めて撮影された映画だそうです。この二人の映画監督は、政治やイデオロギーではなく民衆の風俗や生活を映し出すことに長けた人物だったようで、彼らの眼を通して1905年のバルカン半島を見つめなおそうということです。

1905年以降のバルカン半島の歴史は、苦難の歴史でした。二度のバルカン戦争、サラエボ事件に端を発する第一次世界大戦、第二次世界大戦におけるドイツ軍の占領、戦後ソ連軍による占領と社会主義化、そして1989年冷戦の終結を機に起こった民主化運動と、ユーゴスラヴィア内戦などです。そうしたことを背景に、監督Aはマナキス兄弟の眼差しを求めて、90年に及ぶバルカン半島の歴史を、時空を超えて彷徨います。この映画のタイトルのユリシーズとは、ホメロスのオデュッセイアのことで、彼は10年にわたって各地を放浪します。この映画のタイトルとユリシーズとの関連はよく分かりませんが、ユリシーズの瞳とは、マナキス兄弟の瞳か、あるいは監督Aの瞳、あるいはこの映画の監督自身の瞳のことかもしれません。











映画ではいろいろ印象的な場面がつくられていますが、一番印象的な場面は、巨大なレーニン像を乗せた船がドナウ川を遡る場面です。ドナウ川はドイツ南部のシュヴァルツヴァルトに水源をもち、オーストリアを通って、東欧・バルカンの10か国を通って黒海に注ぎます。ドナウ川は途中いくつもの川が合流して大河となり、オーストラリアを通ってハンガリーに入るとスロヴァキアとの国境を形成し、その後ハンガリーを貫流します。ハンガリーを抜けると、ドナウ川はセルビアとクロアティアの国境となり、次いでセルビアとルーマニアの国境、ルーマニアとブルガリアの、ウクライナとルーマニアの国境となってドナウ川は黒海に注ぎ込みます。

東欧・バルカン諸国では、かつて社会主義政権が支配しており、したがってどの国にも巨大なレーニン像が建っていたはずです。そして、そうしたレーニン像は、社会主義政権崩壊後ほとんど撤去され、映画で船に乗せられたレーニン像もそうしたレーニン像の一つだと思われます。映画で、このレーニン像が何故船に乗せられ、ドナウ川を遡っているのかは分かりませんが、何か時代を逆行しているようにも見え、滑稽であり、悲劇的でもあります。この場面が、この映画を象徴しているのかもしれません。

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