2019年3月2日土曜日

映画「トロイの秘宝を追え」を観て
















2007年にドイツで制作された映画で、ドイツ(プロイセン)の実業家・考古学者であるシュリーマンによるトロイ(トロイア)の発掘物語が描かれています。DVDジャケットの絵だけ見ると、ファンタスティク・アドベンチュア映画のように見えますが、実際にはシュリーマンの自伝「古代への情熱」に基づいたトロイの発掘物語です。
トロイは、3千年以上前にアナトリア半島の北西部にあった都市で、トロイ戦争によってギリシアにより滅ぼされました。トロイとトロイ戦争については、このブログの「映画で古代ギリシアを観て(1)( http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/04/1.html)を参照して下さい。
この映画の主人公シュリーマンについては、彼の自伝によってあまりに有名です。彼は貧しい家に生まれ、幼いころからホメロスの詩を愛し、イリアス=トロイが実在すると信じ、やがて富豪になると私財を投げうってトロイを発掘したということです。映画は、シュリーマンの発掘を妨害しようとするドイツの学会との対立と、発掘に出発する直前に再婚した妻ソフィとの関係を軸に展開されます。ドイツの学会は素人による発掘を夢物語として嘲笑しただけでなく、オスマン帝国の役人を通じてさまざまな妨害工作を行います。また、当時47歳だったシュリーマンは、ギリシアで17歳の女性と再婚しますが、それは金持ちが貧乏人から娘を買ったに等しく、当初二人の関係はぎくしゃくしていましたが、やがてソフィはシュリーマンとともに発掘に情熱を燃やすようになります。
シュリーマンについては、称賛と同時に非難もたくさんあります。まず場所の選定は山勘に近く、発掘の成功はド素人の執念によって生み出された幸運というべきかもしれません。また、発掘という作業はとても地味な作業で、薄紙を剥ぐように土を削り、遺品が発見された場所を記録し、そうして積み上げられた事実に基づいて歴史を再構成していくものです。ところがシュリーマンの発掘は「宝物めがけてまっしぐら」という掘り方で、彼が発見したトロイ最後の王プリマノスの宝なるものがどこで発見されたのかもよく分かりませんでした。今日では、この遺物が発見されたのはトロイ戦争より千年以上前の遺構ではないかとされています。そして、仮にこの遺跡がトロイであったとしても、シュリーマンの乱暴な発掘により、彼が追い求めたトロイ滅亡の遺跡は破壊されてしまったのではないかと考えられています。

 とはいえ、こうしたことをシュリーマン一人のせいにすることはできません。当時、考古学のノウハウはまだ確立されておらず、発掘者たちは、まず宝物を発見して証拠とするしかなかったのです。またプリマノスの秘宝を海外に持ち出した件について、これは大英博物館をはじめ多くの博物館が当時行っていたことです。だから許されるということでは決してありませんが、当時にあっては、シュリーマンの行動は決して異常な行動だったわけではないのです。今日、歴史遺跡を多数もつ国々が、欧米の博物館に遺品の返還を要求していますが、それを受け入れたら欧米の博物館は空になってしまいます。
大村幸弘著、2014年、山川出版社

 たまたまこの映画を観ているのと同じ時期に、この本を読みました。著者は高名な考古学者であり、アナトリアを中心に多数の発掘に関わってきました。そして彼も、多くの他の考古学者と同様に、シュリーマン「古代への情熱」に魅かれて考古学への道を進みました。そして今も発掘に際しては、「古代への情熱」を携え、読み返すそうです。この間に、シュリーマンは色々批判され、一時はほとんどペテン師扱いでした。それらの批判には誤解もあり真実もありますが、それでも筆者はシュリーマンがその後の考古学及ぼした影響は計り知れないと主張します。









 今日、シュリーマンが発掘した遺跡はトロイ遺跡として世界遺産に登録され、その入り口には有名なトロイの木馬のレプリカが置かれています。ただ、この場所がトロイかどうかについては、まだ最終的に確認されていません。それでも、良い意味でも悪い意味でも考古学発展の出発点になった場所として、広く人々に知られる価値がある場所だと思います。いい意味では考古学へのシュリーマンの情熱であり、悪い意味とは発掘の方法や遺品を持ち出したことなどで、それは考古学者としてやってはならないという、教訓です。考古学は、決して宝物探しではないということです。
 映画で語られている内容については、概ね私が知っていることでしたので、あまり感銘をうけることはありませんでしたが、それでも発掘についての啓蒙的な映画として観れば、価値があるのではないでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿