2018年9月27日木曜日

小説(2)無題(麻実)


心が死にたいと願うとは、いったい何事か? 心はそもそも生きているのか? 死ねるのか? 心の死とはもはやその者でさえもなくなるということじゃないのか。だとしたら、その者においての死は、どこに、ある? おそらく人は死ぬことで無といいたいのだ。何も無くなるとしたら、死んだ私がどうやって自分の死を知り得よう!
 何も無い、なんて、笑い出したくなる瞬間だ。
 それこそ思考の万歳である。

 死にたい、という気持ちのなんと孤独なことか。死はおそらくあらゆる存在の手によって棺の中に葬られ、地中深く埋められているのに違いない。それの何であるかを知るためには、掘り起こし、ただ棺を開ければよい。しかし、棺を開けるためには鍵がいる。その鍵は知りたいと願う全ての者が持ち合わせている。脈々と蠢いている、心臓の内側に。
棺から、囁き声がした。ひどく淫靡な、耳朶にひんやりと響く音階。さあ、それを私に寄越しなさい。知りたいんでしょう? 死が。

 まるで透明さの中で、どろどろとへばりつく青さにつかまって手も足も舌も目もうまくいかない。それでもかろうじて、呼吸だけはしている。呼吸という他者によって助けられまだなんとか生きているのだ。それが、それ自身の性質において全開に咲いている。それ以上でもそれ以下でもない。十全な命。そしてこの私も、そのはず、なのだが。言葉なきもの達の饒舌さにしてやられる。

精髄を這い上がる、悦楽。それは極めて純度の高い、悪意。どんな澱みもない、悪。それは魅力的に見えるほど、冷徹な熱を帯びている。だからこそ、始末がわるい。俺の血中に潜んで、そしらぬフリをしているが、フリはしょせんフリなのだ。いずれ、この自我を押しのけてヤツは自身を現そうとする。醒め続けている眼となり、自らの疵口を暴き、血で汚れてもなお、徹底的に滅亡へと向かおうとする。無感覚でい続けるそれは、静かに静かに、暴れまわる。その好機を、ひっそりと、嗤いながら待っているのだ。

「何を見ているの?」
「何も」
紡いだ言葉に、意味を取り落としそうになった。な、に、も。そこには、何もない、という根拠に満ちた理由じゃなく、俺を見つめているものの、名称、が、なんでもない、ということ。

命を粗末にするな、と軽々しく言う。それなら、その命がなにか、答えてみろ。死ぬことが命を粗末にするというのなら、精神を下落させ、汚れた価値で生きることが命を大切にしているということになるのか? ただ生きることが価値でありえるなら、死ぬことだって価値じゃないか。

なれあうのは嫌いだ。冗談じゃない。くだらないことをしゃべり散らして、自分は無内容でくだらない人間なのだと言って歩き回るのか? そんなことをするくらいなら、死んだほうがましだ。

自殺願望というと、何か違う。その言葉は様々な人間の感情で濡れている気がする。俺の死に対する欲望、もっとまっさらな、純粋な、なにかだ。どんな色にも染まっていない。渇いても濡れてもいない。それが何か決して言い当てることのできない、なにか。そう、例えば宇宙空間を形成するダークタマーみたいな。深く、暗く、神聖な、情動だ。

―なんだ、これは。
 畏怖というには、優しすぎる。体が真っ二つに引き裂かれたような熱いものに貫かれる。まるで、精神と肉体が、根底からズレていくような、そんな、感触。俺は、と言おうとして、絶句する。言葉が、意味を滑り落ちる。声が、霧消してゆく。息が、できない。
ただ、映るのは、極彩色の虚無。

本当に、生きていることが素晴らしいというのなら、
俺のこの死への情熱をどう説明する?
生に対する無関心さをどう解釈する?
心の傷? 家庭環境? 遺伝子? ぬるい。ぬるすぎる。そんな生易しいものじゃない。そんなもの単なる後付にしかならないじゃないか。俺を突き動かす、一切の初原動力。
それこそ、死、だ。
この絶対矛盾を抱えていくのは、結構キツいものがある。

無理やり積み上げられたガラクタの上に生きている。
あれもこれも、うそ。本当の俺なんてどこにもいない。俺なんて人間はどこにもいない。それでもどうにかこうにか繕いながら、この世に留まっている。学校へ行き友人と何食わぬ顔で談笑し、女の子と恋愛ごっこ。家では親子をきちんと演じる。俺は自由自在。なんにでも、なれる。形而下のあれこれが、なにがしかの安全弁になっているようで、俺はまだ正気でいられている気がする。いや、俺は最初から正気なのだが、というよりも、たぶん、正気すぎるのだ。

俺は、ひとりでひっそりと、朽ちてゆきたいのだ。
この世界を、終わらせたい。この自分なんて、失われてしまえばいい。
だけど。
仮に、死んだところで、俺が俺でなくなるわけが、ない。固有の某としての俺が死んだからと言って、本当に何もかも、終わるのか? 終わる? 終わるって何だ? 

絶望がまた俺を見つめてくる。恍惚とした表情で。
俺は、艶然と笑いかえしてみせる。
まだ、気丈なふりをするくらいの余裕ならある。

無。
これより甘美に満ち足りた言葉を他に知らない。
この意味を口にすることはおろか、考えることさえ出来ない。
だけど、俺はどうしてもそれが欲しい!
俺の全存在をかけた無いものねだりである。
俺は、おそらく、死ねない。ほとんど悲しみに似た悦びである。
どうか、安らかに俺の死を悼んでくれ。一切の非性を拒絶する、死への未知数な歓喜。
いざ。

問題なのは、この俺がなぜ、この俺なのか、ということだ。
自意識過剰と言われようが、疑いようのない実感なのだ。この、完全な断絶感に加えて、決定的な、ズレ。この俺の特別さはどういうことだろうか。それ以上に、俺の感じているものが、周りにまるで通じないというのは、何かの冗談なのだろうか。それとも俺がおかしいのか。絶対に、変だ。着ているものが同じものなのに、話す言語は同じなのに、何かが完璧に違う。

大人になりたいとも、子供でいたいとも思わない。
どちらかでなければならない俺なら、いらない。
俺は何者にもなりたくない。何かでありたくない。そうだ。空がいい。場所もなくすべてに存在し、ただそれだけであれる、何者でもない、空に。
 (2009529)













(写真と文章の内容とは、直接関係がありません。神社がとても好きな子でした。その荘厳さが好きだったようです。)

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