2017年5月27日土曜日

映画「嵐が丘」を観て

1992年にイギリスで制作された映画で、19世紀中頃に書かれた同名の小説を映画化したものです。原作は、イングランド北部のヨークシャーのわびしく厳しい荒野における、激しい愛と憎しみを描いたもので、世界十大小説の一つとさえ言われています。私は、はるか昔に原作を読んだはずなのですが、あまり印象に残っていません。多分、小説の構成が複雑すぎて、途中で挫折したのだと思います。
 著者のエミリー・ブロンテは、1818年にヨークシャーの牧師の家に生まれ、人生の大半を姉のシャーロットやアンとともに、故郷の牧師館で過ごし、1848年に30歳で結核で死亡しました。一見何の変哲もない人生ですが、その彼女が世界最高の文学作品の一つとされる「嵐が丘」を生み出したのです。死の前年に「嵐が丘」が出版されますが、その複雑な構成のため評判が悪く、同じ年に出版されたシャーロットの「ジェーン・エア」は高い評価を得ました。「嵐が丘」が高く評価されるようになるのは、20世紀に入る頃からです。なお、妹のアンは1849年に死亡し、シャーロットは1855年に死亡し、結局ブロンテ家は子孫を残すことができませんでした。
 物語の舞台となったヨークシャーのハワースは「わびしく厳しい荒野」で、小説ではこの荒々しい荒野を背景に荒々しいドラマが展開されます。物語は、この地方のアーンショウ家とリントン家を中心に展開されます。アーンショウ家にはキャサリンという娘とヒンドリーという息子がおり、ある時当主がヒースクリフという孤児を連れてきて息子同然に育てるようになります。しかし当主が死ぬと、ヒンドリーはヒースクリフを下男にしてしまいますが、ヒースクリフとキャサリンは深く愛し合うようになります。ところがキャサリンは、リントン家の洗練された生活に憧れ、その当主エドガーと結婚し、それは知ったヒースクリフはアーンショー家を出ていきます。やがて金持ちになって戻ったヒースクリフはアーンショーとリントン家に対する陰湿な復讐を開始し、両家の財産を奪い、両家の人々を破滅させていきます。その後いろいろあって、ヒースクリフは発狂して死に、結局ヒントリーの息子とキャサリンの娘が結婚して、嵐が丘に再び平和な日々が到来します。 
ストーリーは、古株の家政婦が回顧する形で進められ、かなり複雑な構成になっています。そして、ヒースクリフの両家への憎しみには、階級的な差別が根底にあるとも考えられますが、何よりも、キャサリン自身か述べているように、「岩のように固い愛」が根底にあるように思われます。この「愛」が、復讐する人も復讐される人も苦しめることになったのだと思います。

 「嵐が丘」は、過去に何度も映画化されており、2011年にも映画化されているそうです。他の映画については、私は何も知りませんが、私が観た映画は原作に比較的忠実だそうで、構成はかなり複雑でした。それにしても、大して文学の訓練を受けたこともない若い女性に、これ程の傑作を書くことができるし、驚きを禁じえません。


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