2016年8月13日土曜日

映画「チボー家の人々」を観て

2003年にフランスで制作されたテレビ・ドラマで、マルタン・デュ・ガールの同名の小説を映画化したものです。
マルタン・デュ・ガールは、パリのブルジョワの家系に生まれ、1905年、25歳頃から小説を書き始め、1920年(39歳)から1940年(59歳)にかけて『チボー家の人々』を執筆し、1937年には「第7 1914年夏」にノーベル文学賞が与えられました。1914年夏とは第一次世界大戦が始まった年であり、第7部が完成された頃第二次世界大戦が迫っていました。デュ・ガールは平和の到来を願ってこの小説を書きましたが、小説が完成した時には、すでに第二次世界大戦が始まっていました。
 小説では、常に下層階級を見下す権威主義的なブルジョワ階級の精神風土を、親子の対立を通して描くとともに、第一次世界大戦前後の情勢を描いています。小説は全8部からなりますが、映画では、その内の4(1話 灰色のノート、第2話 美しい季節、第3話 父の死、第4話 1914年夏)が取り上げられています。主人公はブルジョワ階級の次男ジャックで、父はカトリック教徒の厳格な独裁者、兄は10歳年上で医師であり、よくジャックをかばってくれました。母はジャックが生まれた時に死に、そのため父はジャックを憎んでいました。近所のフォンタナン家のダニエルはジャックの親友で、ジェンニーという妹がいました。
 ジャックは、父や学校に激しく反発し、ダニエルと灰色のノートを交換し、お互いの思いをぶつけ合っていました。16歳の時にジャックはダニエルとともに家出しますが、結局連れ戻され、父が経営する感化院にいれられてしまいました。その後ジャックは表向き大人しく暮らし、20歳の時にエリート養成学校である高等師範学校に合格しました。しかし彼は入学を拒否し、一人で旅立ち、あちこちを放浪し、やがて平和主義の運動に身を挺していきます。時代は、第一次世界大戦に向かいつつありました。そうした中で父が死に、彼に財産を残しますが、彼は受け取りを拒否します。一方、彼はダニエルの妹ジェンニーと恋をし、いつか一緒に暮らそうと誓い合って、ジャックはスイスに向かいます。
 すでにヨーロッパは第一次世界大戦に突入し、ナショナリズムが高まる中で、平和主義者は裏切り者として罵られるようになります。世の中は平和主義からナショナリズムの衝突へと、急激に変化していきました。そうした中で、ジャックは飛行機で戦場に飛び、反戦ビラはまくのですが、飛行機が墜落して死んでしまいます。この時、ジェンニーはジャックの子を身ごもっていました。戦争が終わった後、ジャックの兄は毒ガスを吸ったため余命いくばくもなく、毒薬を飲んで自殺します。ダニエルは片足を失い、かつての生気を失っていました。ただ、ジェンニーが生んだジャン・ポールが元気一杯に育っていました。ドラマはここで終わりますが、ジャン・ポールは1939年に兵役を拒否して逮捕され、その後レジスタントに加わって処刑されます。これにより、チボー家の血筋は断絶することになります。
 平和主義運動は、理想主義的であり、楽観主義的であると考えられる傾向があり、戦争の原因を論理的に考えないで平和だけを唱えるのは無責任であり、逆に利敵行為にさえなる、と考える人が少なくありません。また、ジャックのように、戦場で反戦ビラをばら撒いても、戦争が終わるとは思えません。だからといって、平和主義を主張しなくてよいのでしょうか。第一次世界大戦では、戦死者1600万人、戦傷者2,000万人以上といわれており、これ程の犠牲者を出して、得るものは何もない虚しい戦争でした。結局、ジャックの主張が正しかったのです。しかし、世界は再び第二次世界大戦に突入し、5000万から8000万人の被害者を出します。これでも、平和主義は楽観主義と言えるのでしょうか。

 私は、この小説を高校3年生の時に読みました。受験勉強もほったらかし、授業中にまで隠れて読んでいました。本書は、青春時代が抱えるさまざまな問題を提起しており、私にとっては、「社会」というものに目覚めるきっかけとなった本でした。そして、まもなくベトナム戦争が始まろうとしていました。


1 件のコメント:

  1. チボー家の人々について 詳しく解説していただきありがとうございました
    昨日から今日にかけてDVD4枚組を見終わりました 中学生の頃図書館で読みましたが いかんせん理解能力が無くこの本の真の意味まで読み取ることができませんでした この本が伝えている内容は今日の日本の状況に極似しています

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