2015年3月4日水曜日

「マゼランが来た」を読む

本多勝一著 1989年 朝日新聞社
 本書は、マゼランが実際に通った航路を追跡し、彼が行く先々で何を残したかを、たくさんの写真を用いて説明しています。結論から言えば、彼が残したものは、虐殺でした。
 マゼラン一行がセブ島で行った傍若無人な行為に対し、セブ島の近くのマクタン島のラプラプ王がマゼラン軍を破り、そこでマゼランは死亡します。そしてこの島では、今でも先勝記念日に、この戦いの模擬戦争が行われているそうです。マゼランのフィリピン到達を現地人の視点から見たのは初めてで、大変興味深い内容でした。本書はここから始まって、一旦出発点のリオデジャネイロに戻り、ここからアルゼンチンの沿岸を南下し、マゼラン海峡を通過してチリ沿岸を北上し、太平洋を横断する航路を辿ります。
 南アメリカの南部について、私はほとんど知りませんでしたが、ヨーロッパ人によって絶滅させられた多くの先住民がいたようです。アルゼンチンのパタゴニアに住むチェルチェ族は平均身長の高い民族で、さらに熱い毛皮の靴を履いていたため足が一層大きく見え、パタゴン(大きな足の人)の国、つまりパタゴニアと名付けられたそうです。彼らはマゼランたちを温かく迎えましたが、マゼランは彼らをだまして二人の先住民を捕らえ、スペイン国王の土産にしたそうです。ただし彼らは、航海の途中で壊血病で死にました。そして他の先住民たちは、マゼランの後から来たヨーロッパ人たちにより絶滅されました。

 このように、行く先々で出会った様々な民族を、マゼランやそれに続く人々はキリスト教と文明の名において滅ぼしていきます。ある先住民が、我々より「大きな野蛮人」が我々野蛮人を滅ぼした、と言ったそうです。

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