2014年10月5日日曜日

映画「革命児サパタ」を観て

1952年に制作されたアメリカの映画で、メキシコ革命(191019)で活躍したサパタの半生を描いたものです。原題は、「サパタ 万歳!」です。
 メキシコ革命については、「映画でラテンアメリカの女性を観る 命を燃やしてで触れましたが、ここではもう少し詳しく述べたいと思います。
 ディアスは軍人として名声をあげ、1876年に三度目の選挙に敗北すると軍事蜂起を起こして大統領となり、以後34年間独裁者としてメキシコを支配します。この間に彼は、メキシコに外資を導入し、鉄道、港湾、通信網などのインフラ整備・新たな銀行の設立・商業の活発化・工業や農牧業が拡大し、経済発展を果たします。日本ではちょうど明治時代にあたります。しかし、無原則な外資導入により鉄道、石油石炭、鉱山など主要産業は全て外国資本の支配下に置かれ、経済発展の恩恵に浴したのは一部の特権階級だけで、逆に農民は土地を奪われ、貧しくなっていきました。
 1910年の大統領選挙に、すでに80歳のディアスが立候補したため、自由主義者のマデロがこれに対抗して立候補しました。ところが選挙直前にディアスがマデロを逮捕したため、ディアスが当選し大統領となります。アメリカに亡命したマデロは、メキシコ全土に蜂起を呼びかけ、各地で蜂起が起きましたが、その中にサパタやパンチョ・ビリャがいました。映画では、サパタは貧しい農民で、かつ文盲ということになっていますが、実際には彼は富裕な農民の出身であり、文盲ではありませんでした。彼はメキシコ・シティ南部で、インディオの血を強く引くメスティーソ(白人との混血)として生まれ、インディオの権利運動を推進して、農民から崇拝されていました。彼の理想は、インディオの伝統的な共同体社会を復活することであり、政治的には無政府主義の傾向がありますが、彼の理想は今もインディオたちに語り伝えられています。

 一方、パンチョ・ビリャは、メキシコ北部で大農園の小作人の子として生まれ、16歳の時農園主と喧嘩して逃走し、チワワ州で山賊となります。蛇足ですが、チワワ州は世界で最も小さい犬チワワの原産地です。彼は盗賊の頭領となり、教育はありませんでしたが人望があり、任侠にあつい地方ボスのような存在になっていました。彼はマデロが逮捕されると革命に立ち上がり、その軍事的な才能をいかんなく発揮します。南でサパタが、北でパンチョ・ビラが蜂起したため、ディアスは亡命を余儀なくされ、マデロが大統領に就任することになります。

話が逸れますが、当時アメリカの若いジャーナリストであるジョン・リードがパンチョ・ビリャに密着取材し、メキシコ革命のルポルタージュ「反乱するメキシコ」(筑摩書房)を著し、これにより彼はルポルタージュ作家としての名声を高めるとともに、世界の目をメキシコ革命に集めさせ、メキシコ革命の進展に貢献することになります。さらに彼は、1917年にロシア革命を取材し、「世界をゆるがした十日間」(岩波文庫)を著して、その名声を不動ものとします。しかし、第一次世界大戦後アメリカで反共産主義の動きが高まったため、ジョン・リードは迫害され、1920年にモスクワで病死します。32歳でした。ジョン・リードについては、1981年に「レッズ」という映画が制作されましたが、私は観ていません。

 マデロが大統領となると、サパタはマデロと会見し、土地の解放を求めますが、マデロはメキシコでも屈指の大地主であり、地主の利害を代表していたため、サパタの要求を拒否します。サパタはマデロと袂を分かち、マデロに対して反乱を起こします。そして、この混乱に乗じて保守派の軍人ウェルタがマデロを殺害し、政権を握ります。これに対してパンチョ・ビラャが反乱を起こし、1914年にサパタ軍とビリャ軍がメキシコ・シティに入城します。二人は大地主に対する敵意という点で一致していましたが、どちらも政権を握る意志がまったくなく、二人ともメキシコ・シティを去ってしまいます。映画では、サパタが一時大統領になったことになっていますが、真偽は不明です。
 この間隙をぬって権力を獲得したのはカランサでした。彼はビリャやサパタに配慮して、憲法の制定に着手しますが、憲法制定委員会はカランサの意に反して、ビリャやサパタの主張を大幅に採用した民主的憲法を制定します。1919年にドイツで世界で最初の民主的憲法としてヴァイマル憲法が制定されますが、メキシコではすでに1917年に民主的憲法が制定されていました。ただしカランサはこの憲法を無視しますが、1934年以降カルデナスがこの憲法を実現していくことになります。一方、ヴァイマル憲法は、1933年にナチスが全権委任法を制定したため、事実上消滅することになります。
 その後カランサはビリャを攻撃するとともに、1919年にサパタを暗殺します。これに対してビリャとサパタ派の残党は、農地改革などの社会改革の必要性を強く認識していたオブレゴン将軍を支持して戦い、カランサは射殺され、1920年にオブレゴンが大統領になります。彼はビリャ派やサパタ派と和平を結び、ここにメキシコ革命は事実上終結します。パンチョ・ビラャは、1923年に何者かにより暗殺されますが、彼の名は英雄として長く民衆に語り継がれます。一方政府では、その後独裁と腐敗がはびこりますが、1934年にカルデナスが大統領となり、1917年憲法を次々と実現していくことになります。
 パンチョ・ビリャは豪快かつ楽天的な人物でしたが、サパタは生真面目で、正義感が強く、理想主義的でした。どちらも民衆に人望があり、ずば抜けた軍事的才能に恵まれていましたが、ビリャは地主への敵意と義侠心から、サパタはインディオの権利をまもるという正義感から反乱を起こしたにすぎず、政権を担当する意志もヴィジョンも持っていませんでした。ただこの二人の戦いによって農民たちは、自分たち一人一人が強い意志をもてば、自分たちの土地を取り戻すことができることを学びました。そしてそれこそが、サパタが最も望んだことだったのではないでしょうか。




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