2014年8月30日土曜日

メソアメリカを読む

古代メキシコ人

 ミゲル・レオン・ポルティーヤ著 1961年、山崎真二郎訳(1985)、早稲田大学出版会
 インカ帝国が1438年のパチャクテク即位とともに大帝国へと発展していったのとほぼ同じころ、1428年、イツコアトル率いるアステカはアステカ三国同盟を結成し帝国への道を始めたのは、何かの偶然でしょうか。もちろん、インカやアステカの前に、アンデス文明にもインカ文明にも何千年にも及ぶ長い前史があることは言うまでもありませんが、しかし、ほぼ同じ時期に巨大な帝国が形成され始めた背景には、アメリカ社会に大きな変動があったのでしょうか。それともただの偶然でしょうか。私には分かりません。ヤスパース風にいうなら、アメリカ大陸の枢軸時代と言えるかもしれません。
 それにしても、この本を読み始めて直ちに、メソアメリカ文明についての私の無知に愕然とさせられました。本書は決して専門書ではなく概説書なのですが、それにもかかわらず登場する固有名詞をほとんど知らず、挫折しそうになりました。ところが読み進むうちに、古代メキシコ人の精神世界に引きつけられるようになりました。インカには文字資料がなかったため、その精神世界に深く立ち入ることができませんでしたが、古代メキシコ人は文字を用いて彼らの精神世界を描き出していたのです。しかもそれは、特別な人だけではなく、職人や一般の人たちも同様だったのです。

 紀元前13世紀頃に誕生したと見られるメキシコ湾岸のオルメカ文明に始まり、その影響を受けてメキシコ東南部にマヤ文明が、メキシコ中央高原にテオティワカン文明が誕生します。テオティワカン文明が滅びた後、7世紀頃メキシコ中央高原にトルテカ文明が生まれます。トルテカ文明は、ケツァルコアトルを創造神とし、その後この神はアステカにも引き継がれ、マヤではククルカンとして崇拝されるようになります。このあたりの事情は、はっきり分かっていないようですが、トルテカ人は非常に洗練された文化を生み出したようで、彼らがナワトル語を使用していたことから、ナワトル文化圏とも呼ばれるそうです。
 ここでは、ナワトル語で書かれた多数の詩を引用して、当時のトルテカ人の精神構造を明らかにしようとしています。その内容は多岐にわたり、私には十分理解できませんでしたが、ここでは、一つの文章を引用しておきます。それは、ある家庭で少女が6歳か7歳になると、父親が母親の立ち合いのもとで彼女に伝えるものです。そこで父は簡単な言葉で先祖の古い教養を娘に告げます。その教養とは「顔と心」が受け継ぐべき遺産であり、人間の存在の意味とナワトルの少女がどのように生きるべきかを教えるものです。
  
 私の可愛い娘よ、おまえはここにいる。私の首飾り。私のケツァルの羽根、私の人形。私から生まれた者。おまえは私の血であり、私の肌の色である。おまえのなかに私の姿がある。
 今や受けよ。そして聞け。おまえは生まれ、今生きている。この世にお前を送られたのはわれらの主。近隣の主、人間の製作者、人類の創造者。
 今や、自分を見つめ、気づけ。この世には歓喜も幸福もない。あるのは苦悩と心配と疲労だけ。ここでは苦しみと心配が生まれ増えるだけ。
 ここ、この世は落涙の場所、気力が打ちのめされる場所、悲痛と落胆の場所、黒曜石のような風が吹き、われらの頭上を掠める。実際、風と太陽の灼熱がわれらを悩ませるといわれている。ここは人間が渇きと空腹で死にかけるところ。ここ、この世とはそういうところだ。
 よく聞け、私の可愛い娘、私の幼子よ。この世は安楽の地ではない。喜びも幸福もない。この世はつらい喜びの地、刺す喜びの地ともいわれている。
 古老たちは次のように言い伝えてきた。われわれがいつまでも呻き続けないよう、いつも悲しみで包まれていないよう、われわれの主はわれわれの人間に笑いを、夢を、食べ物を、力を、逞しさを、最後に人間の種を蒔く性行為を与えられた。
 これらすべてはいつまでも呻き続けないように、この世の生活を忘れさせる。しかし、たとえそうだとしても、この世の物事がそうだとしても、いつも忘れているべきだろうか。いつも怯えているべきだろうか。いつも泣き暮らすべきだろうか。
 この世に生きていられるのは、そこを王と貴族と鷲と虎の戦士が支配しているからだ。誰もがこの世はそんなものだといつもいっているのだ。誰が死を与えるというのだ。労苦があり、生活があり、闘争があり、仕事がある。妻を捜せ、夫を捜せ。

 ときどき意味の分からない部分があり、またこの内容を「人が考えることは同じだ」と見るべきか、ナワトル特有の思想と考えるべきか、よく分かりません。著者は「≪顔と心≫はナワトル思想の中で、人間の心の表情と活動の本源を象徴しています。≪ナワトルの個の概念≫に心が含まれ顔に現れた心の表情が重要であるならば、同様に、いやそれ以上に顔の観念と自我の内的原動力の観念とはお互いに補いあっていました。」と述べています。

 いずれにしても、ナワトル文化が大変穏やかで成熟した文化であることは間違いありません。彼らは人身御供を禁止しましたが、人身御供を求める勢力との対立がしばしばあったようです。そして15世紀前半に宗教軍国主義を唱え、太陽の活力を維持するため絶え間なく人身御供を捧げるアステカ族が台頭し、広大な領域を支配する「帝国」が成立することになります。これとほぼ同じころアンデスにインカ帝国が成立しますが、これはただの偶然でしょうか。それともアメリカ大陸に何か大きな変動が起きつつあったのでしょうか。いずにしても、いかなる可能性もスペインによって破壊されることになります。


消された歴史を掘る メキシコ古代史の再興成

大井邦明著 1985年 平凡社
 古代メキシコの文明はメキシコ中央高地やマヤ地区など6つの地区で発展したとされますが、それらの文明の相互関係が未だに不明確のようです。特にアンデス地方と異なり、豊富な文字資料が存在するため、研究が文献研究に偏りがちで、発掘調査が十分行われてこなかったとされます。著者は長年メキシコの発掘調査に携わり、古代メキシコ文明の再構築を試みます。その際、古代メキシコ文明の中心地であるメキシコ中央高地を中心に研究を進めますが、かなり高度な専門書であるため、読むのにはかなり苦労しました。










 「メソアメリカは、……熱帯地帯に入る。しかしこの地を縦横に走る山脈によって、驚くほど多様な自然がつくり出されている。雪を頂く高山、温暖な気候の高原地帯、熱帯降雨林、太平洋岸と大西洋岸の長大な海岸線、高原地帯と海岸の間に横たわる広大なステップ地帯など、さまざまな自然環境をみることができる。こうした多様な自然環境のもとに、メソアメリカ各地に地方的特色をもつ文化が生み出されていき、それぞれの自然が与える恩恵をもって各地方が補い合い、全体としてメソアメリカ文化と呼べる統一体を形成していた。」
「メキシコ中央部は、メキシコ盆地とそれを取り巻く地域を指している。とくにメキシコ盆地はその自然の豊かさと常春と気候から、いうなれば地上の楽園であった。盆地内の大湖水は、魚介類、水草、そして水を求めて集まる動物などを豊富に提供した。湖南部の淡水部分は、チナンパと呼ばれるメキシコ独特の灌漑農業が大規模に行われていた。大湖水の中央部分は塩水で、製塩が盛んに行われた。また、都市の建設に不可欠な木材・石材も豊富であり、古代メソアメリカにおいて最も重要な刃物の材料である黒曜石も豊富に産した。このメキシコ中部が、メソアメリカにおける統一的勢力を生み、時代の変動を収束させ、新しい文化を他地域に先行して作り上げた先進地であったことは、その自然環境からもうなずける。」ただし、四大文明は、過酷な自然環境のもとで発生しているのですが。

 本書で著者が試みたのは、メソアメリカ世界の再構成です。従来、メソアメリカの年代決定にはマヤ文明の編年が基準とされていました。なぜかというと、マヤ文明の編年は非常によく整備されていたからです。しかしこの編年に従うと、説明できない矛盾が多数存在するため、著者はトルテカ人やチチメカ人の動向を検討することによって全体像の再構成をこころみたわけです。率直に言って、その論証過程は専門的すぎてよく理解できませんでした。メソアメリカ文明についてはっきりしたことは、謎が多すぎてまだよく分かっていないということです。

マヤ人の精神世界への旅






















宮西照夫著 1885年 大阪書籍
 マヤ文明は、謎に満ちた文明です。メキシコ南部で3世紀頃に誕生し、色々な曲折を経て、最終的にはスペインによって滅ぼされる16世紀まで続きます。この文明は青銅器などの金属器を知っていましたが、それを道具として使うことはなかったので、旧大陸の基準に基づけば新石器文明ということになります。新石器段階でここまで高度な文明が形成されるということは、またしても旧大陸の文明の基準に風穴を開けることになります。
 メキシコ南東部に、人口200人ほどのラカンドン族の村があり、この村は周囲を密林に覆われた閉鎖的な村で、キリスト教宣教師による執拗な脅迫にも変わらず、古来の宗教を守ってきました。著者の宮西氏は精神科医で、マヤ文明に魅せられて、1971年から1984年まで8回にわたり、この村や周辺の村で実地調査を行いました。その結果執筆されたのが本書で、内容のほとんどは村での生活の体験談で、それはそれで面白いのですが、なかなか結論が出てきません。
 マヤ文明の滅亡の原因については、疫病説、食糧不足、北からの異民族の侵入などさまざまな原因があげられていますが、どれも定説となるには根拠が弱いようです。そこで著者の結論は、マヤの暦に基づく「予言」説です。マヤを含めてメソアメリカの文明は、300年を周期に危機を迎えると信じられているそうです。たしかに中国の王朝は300年程の周期で交替することが多く、300年というのは社会と政治組織が一致して維持できる限度のような気がしますが、マヤ人は複雑な暦と数字を操り、それに呪縛されそれが運命であると考えてしまったというのです。

 著者は次のように言います。「マヤ人の考えによると、時の円が一回転するとすべてが終わるのだ。無になり、そして新たな時の流れが開始する。この時の流れは直線とはならない。永遠に時は円を描き循環するのだ。マヤ人にとって現在とは、回転して流れる時間の巨大な流れの一通過にすぎない。この暦を基本に宗教生活を送ってきた神官は、あるいは予言者は、おのずと世紀末に不吉な預言をした。」にわかには信じがたい話ですが、人は大なり小なり固定概念に縛られており、こういったことも、マヤ文明を滅ぼした要因のひとつとは言えるかもしれません。


















0 件のコメント:

コメントを投稿