2014年8月9日土曜日

インカを読む(1)

 ここでは、私の書棚にあり、まだ読んでいなかったインカ帝国に関する本を、手当たり次第に読んでコメントを書きました。ここでコメントを書いた本の順番は、たまたま私が読んだ順番というだけで一貫性はなく、全体としてまとまりの悪い文章になっています。私には、これらを体系的に整理して書く能力はありません。

謎の帝国 インカ -その栄光と崩壊


 ジークフリード・フーバー著 1976年 三輪晴啓訳(1978) 佑学社

 著者はドイツ人で、ナチスにドイツから追われて中南米に亡命し、帰国後インカの研究を始めました。彼は、職業的専門化というわけではないし、執筆されてから40年もたっているので、どこまで信用していいのか分かりませんが、ノンフィクション風に書かれていて読みやすく、インカ帝国滅亡の過程をドラマティクに描いているので、大変面白い読み物でした。素人である私にとっては、よほど大きなねつ造がない限り、面白ければよいのです。

 伝説によれば、インカは12世紀頃に成立したことになりますが、クスコ周辺の小国が事実上大帝国インカに発展するのは、15世紀半ばのパチャクテクの時代で、彼の時代にインカの領土が拡大し、制度が整備されました。パチャクテクが1471年に死亡した時点で、帝国は南は現チリから北は現エクアドルまで、更に現在の国で言えばペルー、ボリビア及び北アルゼンチンの大部分も含んでいました。またその制度は、ほとんど社会主義的といえるようなもので、大変興味深いのですが、ここでは深入りしません。

パチャクテクの死後、息子のトゥパック・インカ・ユパンキが皇帝となりますが、彼は父帝の生存中から征服活動で活躍しており、インカ帝国発展の立役者の一人でした。彼は、即位後、帝国にとって残っていた最大の敵であり、現ペルー北部海岸地方を占拠していたチムー王国を征服します。1493年にトゥパック・インカ・ユパンキが死亡し、その子ワイナ・カパックが即位します。その前年の1492年にコロンブスがサン・サルヴァドル島に到達しますが、まだなんの影響もありません。ところが1527年に現在のコロンビア南部で、彼と数千人の兵士が天然痘と思われる病気で死亡します。ヨーロッパ人がやって来る前に、ヨーロッパ人がもたらした疫病がインカを襲った分けです。

インカの皇帝は、事実上この三人で終わります。その後ワスカルが皇帝となりますが、これに対して弟のアタワルパが反乱を起こし、3年の内乱の後アタワルパは兄との戦いに勝ち、即位すべく8万人の兵とともにクスコに向かいました。一方、ピサロは180人の手勢とともに1531年にペルーに上陸し、1532年にクスコへ向かうアタワルパに会見を求め、そのままアタワルパを捕虜としてしまい、1533年にアタワルパを処刑してしまいます。その後も傀儡皇帝が何人か置かれ、また反乱も起きますが、インカ帝国は事実上これによって滅亡します。


本書は、インカ帝国滅亡の過程を幾分ドラマティクに記述しており、大変面白い本でした。

アンデス高地都市 ラ・パスの肖像


樺山紘一編 賀集セリーナ 富永茂樹 鳴海邦碩著 1980年 刀水書房
 本書は、都市工学の研究のための実地調査に基づくもので、個々の論文にはあまり関心はなかったのですが、ルネサンス研究で知られる樺山紘一編となっていたので、読んでみました。
















 調査対象となったラ・パスは、市街地の標高が3600メートルですので、太陽に最も近い都市ということになります。人口は2008年現在で88万人弱で、事実上ボリビアの首都です。トウモロコシ栽培の上限が3500メートルだそうなので、ジャガイモ、オカ、ラッカセイなど地下茎を食用とする作物が中心となります。また、高度の高い寒冷地に住む人々にとってコカは不可欠のようです。アメリカの麻薬撲滅戦争でコカの栽培の停止を求められましたが、結局国内での使用に限れば栽培が認められたそうです。


ラテンアメリカは、スペインによる支配以来人種的な階級秩序がはっきりしています。まず植民地生まれの白人がトップにおり、つぎの混血のメスティーソがおり、両者は主に都市に住みます。最後にインディオがおり、彼らは主に農村に住むのですが、さらにチョロ(女性はショラ)と呼ばれる人々がいます。彼らは、少しだけ白人の血が混じっているか、都市に出てきたインディオで、彼らは18世紀に白人が着ていたような派手な服装をしています。少しでも白人階級に近づきたいという、インディオの思いを表現しているのでしょうか。

 本書を読む限り、ラ・パスは整然と人種分けされた平穏な町ですが、ボリビアの歴史そのものは、決して平穏ではありません。第一に何度もインディオの反乱が起こっているし、領土をめぐって何度も周辺の国と戦争をし、その度に領土を失ってきました。そのため政情は常に不安定で、19世紀初頭に独立して以来、実に188回ものクーデタを繰り返してきました。キューバ革命の後、アメリカが革命を阻止するために援助に力を入れたのもボリビアであり、ゲバラがラテンアメリカに革命を広げるための拠点として選んだのもボリビアだし、「映画でヒトラーを観て 敵こそわが友」でナチス残党がナチス第四帝国の建設を企てたのもボリビアです。本書が描かれた1980年代以降では、1984年に26000%の物価上昇というハイパーインフレに見舞われ、世界で最も貧しい国の一つとなっています。しかし本書の目的は3600メートルの高地都市の研究であり、ヨーロッパ人とインディオはそれぞれ自分たちの文化・伝統を守りながら、住み分けているということです。


ところで、ラテンアメリカ人がサッカー好きなのはよく知られています。サッカーの試合の判定をめぐって、隣国同士が国交を断絶したり、看板試合となると観客に死者がでたりします。そしてラ・パスにもサッカー場がありますが、何しろ標高3600メートルの位置にあり、空気は平地の3分の2ですから、他の国から来たチームは、ほとんど勝負になりなせん。このサッカー競技の熱狂が、人々のフラストレーションのはけ口になっているのかもしれません。そして、案外インカの繁栄の秘密の一つは、こんなところにあるのかもしれません。標高の低いところにある国は、標高3600メートルの高地を大軍を率いて攻撃するのは困難なのではないか、と思うのです。


トゥパク・アマルの反乱 血塗られたインディオの記録


寺田和夫著 ちくま書房 1997(初版1964)
 著者は歴史学の専門家ではないのですが、その分使用される固有名詞も少なく、大変読みやすい本になっています。固有名詞がやたらに多いと、名前が覚えられなくて、素人は読むのに苦労するものです。

 1533年にアタワルパが処刑されたのち、ピサロはアタワルパの兄弟とされるマンコ・インカ・ユパンキを傀儡皇帝としますが、彼は間もなく脱走し、山地にこもってスペイン軍に抵抗します。1571年にトゥパク・アマルが皇帝に即位しますが、翌年スペイン軍の攻撃により捕らえられ、処刑されました。先住民の全群衆が悲しみの叫び声を挙げて泣いたと伝えられます。

それから200年近くたって、もう一人のトゥパク・アマルが登場します。この間のスペインによるラテンアメリカ統治の物語は、涙なくしては語れぬ物語です。この時代のスペインによる統治システムが比較的分かりやすく書かれており、スペイン人がいかに強欲にインディオから搾取していたかが書かれています。国王は、時々インディオ保護のための命令を出しますが、ほとんど効果はなく、また国王にも断固として命令を実行する意図もありませんでした。インディオ統治の末端の役人は、実は無給であり、自分の才覚で稼ぐことになっており、当然任期中に最大限にインディオから搾り取ろうとします。

古い時代にあっては、政府から支給される給料は非常に安いことが多いようです。例えば江戸時代の同心の給料は非常に安く、商人などから時々金品を受け取っていましたが、これは護ってやる代償として受け取っているのであり、賄賂とはいえないでしょう。また中国の高級官僚の給料も非常に安く、それでも豪勢な生活をしていますが、これも地位を利用して自分の才覚で稼いでいるわけです。こうした行いは度を超さない限り容認されており、もともとそれを前提とした給与体系だったといえるのではないでしょうか。ラテンアメリカの場合、はるばるスペインからやってきて、中央の目がまったく届かない遠隔の地で、役人たちは任期中にできるだけ多くを稼ごうとするため、インディオから徹底的に搾り取ろうとします。したがってインディオの怨嗟の対象は、副王やスペイン国王ではなく、下級役人ということになります。

トゥパク・アマルは、本名をコンドルカンキといい、トゥパク・アマルの子孫と称してトゥパク・アマル2世を名乗ります。彼はかなり高い教育を受け、ケチュア語・スペイン語・ラテン語に通じており、インディオからも厚い信頼を受けていました。そして1780年彼は反乱を起こしました。すでに前年にフランス革命が勃発しており、世の中は大きく変わろうとしていた時代でした。反乱はたちまちアンデス全体に拡大し、はじめは反乱軍は連戦連勝を続けていましたが、インディオたちが戦いや火器の扱いに慣れていないということもあって、結局敗北し、トゥパク・アマルは捕らえられて処刑されます。この間の事情を著物は怒りを込めて記述しています。

クリオーリョと呼ばれる人々は、現地生まれの白人で、スペインから送られてくる役人には反感をもっており、当初トゥパク・アマルの反乱にかなりのクリオーリョが参加していました。しかし、彼らの多くは地主であり、多くのインディオを農奴として使役しているため、インディオの過激な反乱に危機感をもつようになります。彼らは、このままスペインの横暴な支配を許し、インディオの反乱をさらに過激化させ、インディオ中心の独立が達成される前に、クリオーリョ主体でスペインから独立し、インディオに対する支配を強化すべきだと考えました。


その思いを決定的にしたのは、1804年における黒人によるハイチの独立で、この事件にクリオーリョは震えあがりました。この点については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第23章 綿織物とパックス・ブリタニカ―ハイチの悲劇」をご覧ください。こうして19前半にクリオーリョ主体での独立が達成されていきます。従来スペイン国王は、あまり効果がなかったとはいえ、一応インディオ保護の政策を行っていました。しかし、今やクリオーリョにとって、国王の介入もなくなり、インディオをどのように使役しても構わなくなった分けです。こうしてインディオの夜明けは遠のき、今日もなお夜明けがきているとは言えません。

大帝国インカ


 ミロスラフ・スティングル著 坂本明美訳 1982(ドイツ語版1978) 佑学社


 インカ自身は文字資料を残しませんでしたが、インカ帝国を征服したスペイン人による記録や、インカ人でスペイン語を習得した人々による記録が残っています。なかでも、インカ王家の娘とスペイン人との間に生まれたインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガが、17世紀の初め頃、母から聞いた話などをスペイン語で書き表した「インカ皇統記」が有名です。












インカの農業風景(ワマン・ポマ)



またインカ・ガルシラーソとほぼ同じ頃、ワマン・ポマが『新しい記録と良き統治』(『新年代記』)という本を著します。彼はスペイン人のもとで働いていたのですが、スペイン人の非道な統治に怒り、インカ各地に放浪の旅に出ます。この本は、1000ページを超え、前半が古代からスペイン人征服までのアンデスの歴史を綴り、後半がスペイン支配下でインディオが受けた虐待行為や搾取の告発とその改革案を綴っています。この本の特異な点は、500ページ近い挿絵が入っていることで、つまり一種の漫画なのです。一見稚拙に見える挿絵ですが、細部まで非常に丁寧に描かれており、その記録的な価値は何物にも代えがたいものがあります。しかしこの本は、17世紀初めにスペイン国王に送られますが、その後行方不明となります。ところが、20世紀の初めにドイツの学者がデンマークの図書館で、この本を発見します。この本がどのようにしてデンマークに渡ったのかは不明ですが、30年程後にようやく公刊され、大変注目されました。ワマン・ポマは、スペイン到来以前と以降とのインカの変化を、大量の挿絵を使って目に見えるように描き、スペインの支配の残酷さを示したかったようです。本書は、このワマン・ポマの挿絵を50枚以上用いており、大変興味深いものですが、できれば絵の解説があるとよかったと思います。


 第3章の「インカ帝国の生活」は庶民の暮らしや農業の仕方が詳しく書かれており、大変興味深いものでした。そこで、著者は「ジャガイモとコカこそ、古代ペルシアのインカ族が現代人にのこした大きな贈物だったと」と言っていますが、確かにそうかもしれません。寒冷地でも栽培できるジャガイモは、ヨーロッパの貧しい農民にとって不可欠の栄養源となったこと、コカインは現在でも医療用に不可欠の薬です。また文字がなかったにもかかわらず(この点については異論もがあるようです)、文学が発展し、医学も分野による不均衡はあるとしても、相当発達していたようです。必ずしも文字を知らなくても、文明は発展しうるということを証明しているように思います。

「敗者の想像力―インディオのみた新世界征服」


 N.ワルシャテル著 小池祐二訳 1984(原著1971) 岩波書店

 本書はスペインの征服と滅び行くインディオ社会の有様を、インディオの側から見つめています。前に述べた「大帝国インカ」で用いられたワマン・ポマの『新しい記録と良き統治』の挿絵は、スペイン人到来以前のものですが、本書では到来以降の挿絵が多数用いられています。また、同時代のインディオが残した資料や、今日まで残るインディオの民族舞踏の中に見られるインディオの心情の痕跡などが記述され、太平興味深い内容でした。なお、本書には増田義郎氏の解説が掲載されており、著者はアナール学派に属するそうです。

インディオ文明はなぜこれほど簡単に滅びてしまったのか、という問いは繰り返し行われてきました。個別的にさまざまな理由があるにしても、あまりに突然に、まったく未知のものが到来したため、彼らは茫然としてしまったようです。日本に黒船が到来した時、日本で大騒ぎになったとしても、日本はオランダ商館から欧米の事情については定期的に聴取しており、まったく未知のものが到来したわけではありません。まさにスペイン人の到来は、突如まったく異質な宇宙人の到来に匹敵します。インディオたちは、この不可解な事件を説明し、自分たちの過酷な運命を、さまざまな伝説や予言を引き出して説明しようとしますが、その多くは後で造られたものと思われます。また、スペインの宣教師たちが、自分たちを正当化するために作ったものも含まれているともされています。

 著者は次のように言います。「どんな社会にも、それ独自の論理によって律せられた精神構造や世界観が存在する。歴史上の出来事も、自然現象同様、おのおのの文化に固有の神話や宇宙進化論の説明の枠組みのなかに位置づけられている。この合理的な秩序化にはみ出る者は、すべて超自然の力、または神の力が俗世に乱入してきたものとされる。その結果未知なるものに触れて日常生活の合理性が突き崩され、不安が沸き起こってくるのである。」けっして野蛮なインディオが高度の文明のスペイン人に敗北したのではないということです。

 しかし、著者は結局インディオ文明が滅び去ったのではないとして、以下のように主張します。文化は部分的な要素がただ並んでいるだけで成り立つものではなく、一つのまとまりをなしていなければならない。土着の人々がヨーロッパ文化から分離された断片的な要素を採り入れたからといって、それは真の同化を意味しない。……スペイン人による征服と植民の結果生じた危機は深刻なものではあったが、インカ時代の社会組織の重要な残存はいくつか生きながらえた。社会構造が瓦解しないとき、インディオは、部分的には外来文化に反応しながらも、伝統にたいして度しがたいまでに忠誠を示した。


 本書は、主に1530年から1570年にかけてのペルーを扱っています。インカ帝国の社会については、今まで読んだ本にも詳しく書かれていますが、従来の歴史学のどのような用語を用いても、説明しきれません。著者は、さらに民俗学の手法を用いて説明を試みていますが、それでも説明しきれているとは思えません。むしろ古代アメリカ文明を基準にして、従来の文明の捉え方を洗いなおした方がよいのではないかと思います。


「インカの反乱 被征服者の声」


ティトゥ・クシ・ユパンギ著 染田秀藤訳 1987年 岩波文庫


ティトゥ・クシはマンコ・インカ・ユパンキの子で、父や兄弟たちとスペインに対する反乱を行います。彼は、1570年にスペイン国王フェリペ2世に、インカの実情を書いた文書を渡し、翌1571年に天然痘により死亡します。しかしこの文書は長い間その存在が無視され、忘れさられ、19世紀後半にようやく再発見されました。その内容は、インカの側から見たインカ帝国の歴史、スペインの侵略、インカ人の心情が語られており、貴重な資料です。










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