2014年3月1日土曜日

映画で東ドイツを観る

「トンネル」


2001年にドイツで制作された映画で、ベルリンの壁の下にトンネルを掘って西ベルリンに脱出するという、実話に基づいた映画です。
 第二次世界大戦後のドイツは、米・英・仏・ソの四か国で分割占領され、首都ベルリンも分割占領されることになりました。問題は、ベルリンがソ連の占領地域内にあることで、困ったのは東ドイツの方でした。ベルリン内部では東西の往来が自由なため、東ベルリンから西ベルリンに入って、そのまま西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に亡命する人が後を絶たなかったからです。毎年数十万人の東ドイツ(ドイツ民主共和国)国民が、西ドイツに亡命したとされます。そこで東ドイツは、19618130時、東西ベルリンの境界線に有刺鉄線を置き始め、午前6時までに東西間の通行はほとんど不可能になりました。この結果、本来西側の住民が東側に取り残されたり、親子・兄弟・恋人が東西に分かれてしまう、というような事態が発生しました。
 その後、本格的に壁の建設が始められたため、大騒ぎになりました。警備についていた東ドイツの兵士が、突然走り出して有刺鉄線を飛び越えたり、車で壁に突っ込んで、車の前半部分が西側に出たため、そこから脱出したといった、笑い話のような話もありますが、脱出しようとして射殺された人々も沢山いました。写真は、壁の向こう側で恋人が射殺されている場面です。こうした中で、偽造パスポートを使ったり、第三国へ出国して、そこから西ドイツに行くなど、脱出のためのさまざまな方法が試みられましたが、しだいにそれも困難となっていきます。
 主人公は水泳選手のハリーで、1953年の暴動で逮捕され、4年間投獄されます。彼は、壁建設の直後に偽造パスポートを使って西側に脱出し、西側から妹や友人を救うためにトンネルを掘る計画を立てます。壁に近い空き工場を借り、壁の向こう側のビルまで145メートルのトンネルを掘ろうというわけです。問題は山積しています。秘密をどう守るのか、東側の仲間とどう連絡するのか、掘った土をどこにもっていくのか、地下水が出たらどうするのか、などなどです。東側の警察も計画を察知し、計画を執拗に追跡します。関係者を逮捕したり、母親から子供を引き話すと脅したり、さまざまな手を使って計画を妨害しようとします。ここにも、職務に忠実で有能な「アイヒマン」(「映画でヒトラーを観て―ヒトラーの審判」参照)が存在していました。
 9か月かけてトンネルは完成し、29人が脱出しますが、壁は残りました。壁は、1989年に崩壊するまで28年間存続し、東側世界の非情さを象徴する存在であり続けましたが、その「非情さ」には西側が演出した部分もあったであろうと思います。この映画が制作されたのは、壁の崩壊から12年後ですので、まだ東側世界に対する偏見が強いのではないでしょうか。
 3時間近い長編でしたが、結構スリリングで、おもしろく観ることができました。また、アメリカのテレビ会社が、資金提供の見返りとして、トンネル堀の作業を途中から密着取材し、その映像は、1963年に放映され、大変評判になりました。この映画でも、一部で実写フィルムが使われていました。

 なお、冷戦により分裂したのはドイツだけではなく、朝鮮やヴェトナムも分裂し、朝鮮では今も分裂が続いています。


「善き人のためのソナタ」

2006年のドイツ制作の映画です。
舞台は1984年の東ベルリンで、この5年後にベルリンの壁は崩壊します。主人公は国家保安省(シュタージ)のヴィースラー大尉です。前のトンネルでは、便宜上警察と書きましたが、厳密には国家保安省で、ナチス時代のゲシュタポのようなものです。彼もまた、アイヒマンのように、命令を忠実に実行する有能な役人でした。ただ、アイヒマンにとっては、ナチスのイデオロギーにはあまのり関心がありませんでしたが、ヴィースラーは社会主義の大義を強く信じていました。
 彼は、反体制的な劇作家ドライマンの監視を命じられるのですが、ところがドライマンの恋人クリスタが大臣と不倫をしていることが判明します。それどころか、クリスタはドライマンの監視役でもあったのです。東ドイツの監視体制は徹底していて、シュタージュと契約した監視員が26万人以上いたとされます。東西ドイツの統一後、監視体制下での書類を閲覧できるようになり、その結果妻が夫の監視役であったなどということが次々と判明しました。
ヴィースラーは、大臣の不倫を上司に伝えますが、大臣を怒らせて出世の妨げになることを嫌い、不倫の件を伏せておくように命じられます。結局、社会主義の大義より、出世の方が大事だったわけです。この頃から、ヴィースラーは自分の仕事に疑問をもつようになります。彼は、ドライマンの部屋に盗聴器をしかけ、四六時中監視しますが、しだいに彼の言動や生き方に共感を覚えるようになり、彼の反体制的な行動を見逃すようになっていきます。さらに、ドライマンの反体制活動の証拠を、家宅捜索直前に持ち出して隠してやります。その結果、彼は閑職に移動させられ、4年半の歳月が流れたのち、ベルリンの壁が崩壊します。
2年後にドライマンは、自分の監視記録を閲覧し、自分を救ってくれたのが、自分を監視していた、合ったこともないヴィースラーという人物であることを知ります。そのヴィースラーは、郵便配達の仕事をして、細々と暮らしていました。ある時、書店のウインドーに張り出されていたドライマンの大きな写真が目に入り、彼の著書の宣伝が行われていました。そのタイトルは「善き人のためのソナタ」で、そこにはヴィースラーのことが書かれていました。彼は、自分がしたことを誰にも語らず、余生を細々と生きていくつもりだったのでしょうが、この本によって報われることになります。彼はエリート保安員であり、命令を忠実に実行する有能な人物でしたが、アイヒマン(「映画でヒトラーを観て―ヒトラーの審判」参照)とは異なり、人に共感する心をもった人物だったと言えるでしょう。
 この映画は、先に書いた「トンネル」が制作されてから5年後に制作されました。「トンネル」に比べれば、東ドイツの人々の心が、多少は理解されるようになっているようです。


グッバイ、レーニン!

2003年にドイツで制作された映画で、アレックスとその家族が、ベルリンの壁の崩壊と東西ドイツの統一をどの様に迎えたかを描いています。
アレックスの父は女と一緒に西ドイツに亡命し、それ以来母は虚脱状態となりますが、何か月か後に、社会活動に情熱を注ぎ込むようになり、やがて国から表彰されるまでになります。まさに母は、東ドイツの社会主義体制の鏡でした。でもそれは、東ドイツを捨てた父への当てつけのようにも見えました。1989年、アレックスはテレビ修理工場で働いており、107日にたまたま大した信念もなく反体制デモに参加していましたが、警官隊に襲われて検挙されてしまいます。そして、たまたま現場を通りかかった母が、彼が検挙される所を目撃し、ショックのあまり心臓発作を起こし、そのまま昏睡状態に陥ってしまいます。夫に捨てられた母にとって、東ドイツの体制のために働くことは自分の存在を証明することであり、息子が反体制デモに参加することは、自分の存在を否定することでした。アレックスにも、そのことはよく分かっていましたので、献身的な看護を続けます。
1110日にベルリンの壁は崩壊し、その後東ドイツ社会は激変します。西側の資本が押し寄せ、姉は経済学の勉強を止め、西側的な衣裳を着てハンバーガー・ショップで働き始めました。ところが、倒れてから8か月後に母は目覚めます。医者は、危険な状態なので、ショックを与えないようにと警告します。母にとって一番のショックは、社会主義体制の崩壊です。信じていたものが、すべて失われてしまうからです。それ以来、母に事実を知られないように、嘘で塗り固めた生活が始まります。それは滑稽とも見える有様でした。
そうした中で、ある時、母が子供たちに告白します。父が女と一緒に逃げたというのは噓で、実は二人は一緒に亡命する予定だったのですが、彼女が恐ろしくて亡命できなかったのだと。父から何度も手紙がきますが、彼女は無視し、その良心の呵責から逃れるように、彼女は一心不乱に働いたのでした。一方、アレックスが母に社会主義体制の存続を信じ込ませようとしたのは、アレックス自身が東ドイツを捨てられなかったからです。実は母は、東ドイツの崩壊を知っており、自分にそれを隠し通そうとする優しい子供たちに感謝しつつ死んでいきます。そしてアレックスもまた、新しい社会に順応していきます。
こうして、様々な人々が様々な思いで、「壁」の崩壊を迎えました。「トンネル」で脱出した人たちは、どのような思いで「壁」の崩壊を見つめていたのでしょうか。「善き人のためのソナタ」のヴィースラーは、淡々と見つめていたことでしょう。アレックスは、母を通じて東ドイツへの郷愁を感じていました。映画では、「壁」の崩壊前後の東ドイツの様々な変化が詳しく描き出されており、大変興味深く観ることができました。











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