2014年3月15日土曜日

世界子どもの歴史 先史時代

斎藤正二著 1986年 第一法規
 本書は、「世界子どもの歴史」シリーズ全11巻の第1巻で、「先史時代」を扱ったものです。なぜか私は、このシリーズの第1巻しか持っていません。この本を買った時の気持ちを忘れてしまいましたが、多分12600円もするこのシリーズを11冊も買う気力がなかったのだと思います。
 本書は後書きで、「各時代の子どもたちが具体的=現実的にどのような生き様を残してきたかという問題について、これを明らかにした書物はほとんど皆無といえます。たくさんの教育史が書かれましたが、その大部分は≪子ども不在≫の教育史でしかありません。……衣食住のことはもとより、子どもたちが家庭や共同体の中でどのような取り扱いを受け、子だもたち同士がどのような遊びを楽しみ、どのようにして知恵を得ていったか、という事がらに関しては、一瞥だに与えられていませんでした。」と述べ、このシリーズの目的を示しています。

 著者は、「子ども期」について、人類学的・生物学的なアプローチを試みます。人類の「子ども期」は、サルとチンパンジーなど、他の霊長類、他の動物、哺乳類一般と比べて、特に長期化されている。この人類の幼年時代・少年時代・青年時代が異常に長いことこそ、じつは、人類を全生物の全体系のトップに立たしめる条件となったのである。……出生前には、サルの胎児の脳は大きさも複雑さも急速に増加する。子供が生まれたときに、脳はすでに成体の腦の70%に達している。しかも残りの30%の成長は、生後6か月の間に達成されてしまう。……これと対照的にわれわれ人間では、出生時の腦の大きさは、成人の23%に過ぎない。腦の急速な成長は生後6年間継続し、全成長過程が終わるのは、ほぼ23歳の時である。

 何か、ヒトラーの人種論を読んでいるようで、幾分不快な感じがしますが、人間は生まれた直後には、一人では何もできず、非常に長い成長過程があり、その間に親などから様々な教育を受けて、優れた能力をもつようになります。なぜそうなったのかについて、詳しい説明がなされており、大変興味深い内容でしたが、ここでは触れません。

 「子ども期」において非常に重要な役割を果たすのが、「遊び」です。ここで、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」が引用されます。「それは、遊びというものは最も素朴な形式にのそれ、動物の生活のなかのそれでさえ、すでに純生物学的な現象以上のものがあり、また純生物学的に規定された心的反応以上のものである、ということである。遊びというものは、純生物学的行動の、もしくは少なくとも純粋に肉体的な活動とでもいうものの、限界を超えている。すなわち、遊びは何らかの意味をもったひとつの機能なのである。」「どんな遊びでも、何かの意味がある。けれでも、われわれが遊びの本質をなしている主導的原理を精神と呼べば、これは言い過ぎになるし、またそれを本能と呼んだのでは、何一つ言ったことにならない。その点はどう見るにしても、とにかく遊びのこうした意味とともに遊びそのものの本質の中に一つの非物質的な要素が明白に働いている。」ただし、近年の研究では、遊びには明白な目的性があるとされています。

 子どもの扱い方にも変遷があります。サバンナで狩りをしていた時代には、子どもは足手まといな存在でした。ところが、農耕が始まると、子どもも労働力となり、古代を通じて子ども時代に教育が行われます。ところが、なぜかヨーロッパの中世では、子ども時代が消滅してしまいます。中世においては、78歳から大人と同じ扱いを受け、刑罰も大人と同じだったそうです。その理由については、ここでは述べられておらず、多分このシリーズの第3巻「中世」で詳しく述べられるのでしょう。
 本書は、シリーズの第1巻ということもあって、かなり抽象的で、読みづらい本でした。それでも、歴史には、こういう視点からの捉え方もあるのだと、また一つ学びました。


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