2020年5月23日土曜日

映画「帰ってきたヒトラー」を観て


2014年にドイツで制作された、ヒトラーをパロディ化した映画で、この2年前に発表された原作は、ドイツでベストセラーとなりました。ヒトラーについては、「映画でヒトラーを観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/02/blog-post_24.html)など、このブログで何度も触れてきました。ヒトラーについては、ドイツでは称賛することが禁止されており、ヒトラーの著作「わが闘争」は、現在でもドイツでは販売されていません。したがって、ドイツではヒトラーを扱った映画は非常に少なく、2004年の「ヒトラー~最後の12日間~」が最初の映画だそうで、死の直前のヒトラーの錯乱ぶりを描いています。
 さて、1945430日に、ヒトラーは地下壕の執務室で自殺しますが、映画ではヒトラーはその直後に2011年のベルリンにタイム・スリップします。当初ヒトラーは自分が置かれた立場を理解できませんでしたが、新聞などでリサーチしている内に、この時代がヒトラーの時代と意外に似ていることに気づきます。貧富の差の大きさ、国民の不満、異人種の流入などです。一方、ヒトラーに出会ったジャーナリストは、彼が喜劇役者だと思い込み、彼をマスコミに売り込み、大評判となります。彼の言うことには一定の真実味があるとはいえ、さすがに時差ボケしており、そのボケ振りが人々の大喝采をあびます。多くの人々は彼について、少し変なやつだが、危険はないと考えていました。また、ネオナチの人々が、彼がドイツを馬鹿にしているとして暴力を振るうのもコミカルでした。
 今や何が真実で、何が嘘なのかはっきりしません。しかし、ヒトラーにははっきりしていました。彼は、自分がなぜ70年もの年をワープして、今ここにいるのかはわかりませんでしたが、70年前の時代とよく似たこの時代の社会で、自分が指導者になれることを確信し、若者たちを集めて親衛隊を組織しようとしていました。人々は、こうしたヒトラーの行動をコメディとして捉え、しかも彼が現状の矛盾を鋭くついていましたので、人々はなんとなく彼に惹きつけられていきました。しかし、ヒトラーが登場した時のドイツの人々は、彼の行為 をコメディと見ていたのではなかったでしょうか。1930年代におけるヒトラーの大言壮語を人々は信じていたのでしょうか。しかし人々はいつのまにか戦争とユダヤ人の虐殺に引き込まれていきました。
 現代の人々の多くは、現代の時代にそのようなことが起きるはずがないと考えているでしょうが、それが心の油断であり、私自身こうした罠に何時引き込まれるか分かりません。このブログを通じて、私は繰り返し「ヒトラーとは何か」について考えてきましたが、それは私の心の中にあるのかもしれません。この映画のDVDジャケットの中央に、「笑うな 危険」と書かれていますが、これこそ我々の心の油断を指摘しているのかもしれません。
映画は大変面白く観ることができましたが、実は気楽に笑っている場合ではないのです。一部の評論家から、この作品にはヒトラーを肯定的に捉えている部分があるという批判があったそうですが、実はそれこそが、この作品が主張するファシズムの罠ではないかと思うのです。
最近のコロナウイルス騒ぎに際して、大都市圏の地方自治体の首長が店舗の閉店を要請しましたが、それに従わなかったパチンコ店の店名を公表しました。私を含めて多くの人が、緊急事態だから仕方がないと考えましたが、これはファシズムの罠でした。こうした見せしめ的な店名の公表は、一般市民による個人への自警団的な介入を生み、やがてそれがファシズム的な熱狂を生み出します。公表した知事たちが、ファシストだとは言いません。ただファシズムはこうして生まれるのだと思います。ファシズムの時代には、多くの人々は違和感を感じながらも、緊急時だから仕方がないと思っていたのです。そして人々が間違いに気づいた時、もはや手遅れとなっていました。

 私はこのことについて、ニュースでのある研究者の発言で気づきました。この研究者は、店名の公表はファシズムの手法だといったのです。愚かにも私は、このことに気づきませんでした。また、人気絶頂の知事たちの政策について、これをファシズムの手法という見解に対して不快感をもった人が多かったのではないかと思います。しかし私はこれで目が覚めました。これがファシズムの罠だとうことです。

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