2020年2月22日土曜日

映画「サムソン 神に選ばれし戦士」を観て

2018年に アメリカ=南アフリカで制作された映画で、1949年に制作された「サムソンとデリラ」のリメイク版です。映画の背景については、「映画で聖書を観る サムソンとデリラ(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/04/blog-post_3082.html)で述べましたので、とりあえずその時の文を引用します。
「紀元前11世紀のイスラエル人は、ペリシテ人の専制的支配に苦しめられていました。ペリシテ人というのは、おそらく紀元前12世紀に滅びたミケーネ文明の流れを汲む人々で、「海の民」と言われた人々の一派だと思われます。
「サムソンは、神から特別な怪力を与えられ、その怪力の秘密は髪の毛にありました。彼は成長すると、ペリシテ人の娘との結婚を望みますが、ペリシテ人はその娘親子を殺してしまいます。これに対する復讐として、サムソンは多くのペリシテ人を殺し、士師としてイスラエル人を指導します。その後サムソンは、デリラというペリシテ人の女性と結婚します。映画では、彼女は最初の婚約者の妹ということになっていますが、真偽のほどは不明です。デリラは、ペリシテ人に求められて、サムソンの力の秘密が彼の髪の毛にあることを探り出し、彼が寝ている間に髪の毛を切ってしまいます。神から与えられた力を失ったサムソンは、ペリシテ人に捕らえられ、目を潰されて奴隷として酷使され、最後に神殿でさらし者にされます。しかしこの絶望の時にサムソンに信仰が蘇り、神により与えられた力を取り戻します。彼は渾身の力を込めて、巨大な神殿を支える柱を倒し、多くのペリシテ人を殺して、イスラエル人の誇りを取り戻します。
旧約聖書に記された物語の多くは、神の祝福を受けた者が、ある時信仰を失って神の祝福を失い、絶望的な状況の中で信仰を取り戻すという物語で、サムソンとデリラの物語は、その典型です。
 聖書では、「士師記」の後に「サムエル記」がきます。サムエルは、預言者で士師でもあり、イスラエル人の宗教的・政治的指導者でした。しかし、彼の晩年になると、人々は敵と戦うためにも強力な王を求めるようになります。そこで彼はサウルを王としますが、やがてサウルが神の命に背いたため、ダビデを王とします。こうしてサウル以降王政の時代となり、歴代の王については「列王記」で語られることになります。

近年、旧約聖書の物語を描いた映画のリメイク版が多く制作されているようです。「天地創造」→「ノア」、「十戒」→「エクソダス」、「ソロモンとシバの女王」→「クイーン・オブ・エジプト」などで、どれも前作の方が上回ってように思いました。ただ、「サムソン」のリメイク版は前作より、よくできていたように思いました。ヘブライ人の神はヘブライ人に大きな約束をしますが、いつものことですが、約束はいつまでも実現されません。
サムソンも神に大きな力を与えられ、将来の変革が約束されますが、サムソンはそれをどのように実現したらよいのか分からず、神は彼に何も語り掛けません。そしてヘブライ人が真の危機に直面した時、神はすべての力をサムソンに与えますが、サムソンは死ぬことになります。旧約聖書においては、神は常に民の信仰の強さを試し、民はそれに応えることによって、弱小民族であるヘブライ人は生き残ることができたのかもしれません。



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