2019年11月6日水曜日

「邪馬台国の滅亡」を読んで


若井敏明著 2010年 吉川弘文館
 邪馬台国に関する本を読んだのは、ほとんど半世紀ぶりです。邪馬台国が存在したのは九州か機内かという論争は、江戸時代の新井白石・本居宣長の論争に始まり、20世紀初頭の白鳥庫吉・内藤湖南の論争が有名で、今日に至るまでも続けられています。今日では、邪馬台国論争を扱うのはマニアやジャーナリストで、まっとうな歴史家は扱うべきではない、とさえ思われているようです。というのは、新しい決定的な資料が出てこないため、何を論じても、推測の域を出ないからです。
 邪馬台国に関する文字史料は、「記紀」と中国側の史料くらいで、「記紀」に関しては戦後徹底的に否定されたため、主として中国側の資料や発掘の成果に基づいて議論が行われてきましたが、やがてその議論も下火になります。本書の著者は「記紀」の中にこそ答えがあると考え、「記紀」の記述を再検討し、邪馬台国の所在地を福岡県(筑後国)山門郡であると断定します。そしてクマソを討伐したとされるヤマトタケルの息子仲哀天皇と皇后の神功皇后が邪馬台国の討伐に出征し、仲哀天皇の死後は神功皇后が夫の遺志を受け継ぎ、邪馬台国を滅ぼします。
 従来これらの人物については実在が疑われており、著者はその実在をさまざまな角度から論証するのですが、私には、その論証が正しいかどうか判断する術もありません。ただ、大胆な仮説というのは、それが正しいかどうかは別として、それなりに楽しいものです。また、久しぶりに邪馬台国論争を思い出して、本書を楽しく読むことができました。


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