2019年9月4日水曜日

「ヒトラーのウィーン」を読んで

中島義道著、2012年、新潮社
 私は今までにこのブログで、ヒトラーに関わる多くの映画や書物を紹介してきました。しかし「結局、「ヒトラーとは何者なのか」という問いには、答えを出すことができませんでした。ただ、ヒトラーが時代のすべてを創出したのではなく、時代のあらゆる矛盾や醜さが、ヒトラー個人に凝集し、それがあらゆるものを巻き込んでいったように思われる、という陳腐な結論に達したのみです。映画でヒトラーを観て(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/02/blog-post_24.html)。そして本書の筆者自身も、ヒトラーについて納得できないという気持ちから、本書を執筆しました。
 ヒトラーはウィーンで5年間を過ごしました。まず画家になることを夢見てウィーンを訪れ、やがて画家になれないことが明らかとなり、どん底生活をした後、ウィーンを去ります。このウィーンでの生活が、後のヒトラーに大きな影響を与えたことは、広く知られていることです。本書の著者は、ウィーン時代のヒトラーの心の襞を、筆者自身のウィーンでの思い出とともに、描いていきます。これらの説明は十分説得力があり、大変興味深いのですが、こうした絶望は多くの人が大なり小なり経験することであり、これらの人々がみなヒトラーになるわけではありません。
 「ヒトラーの人生は、あらゆる推量を、あらゆる因果的説明を、あらゆる歴史解釈を、せせら笑うかのように、その彼方にある。どう説明しても説明しきれない膨大な「余り」が残る。うまく説明すればするほど、くるりと舞台は転じてすべてが嘘らしくなるのである。彼自身、なぜ自分が「このような」人生を歩みえたのか、不思議であったに違いない。ヒトラーは、いまなお凡百の説明を拒否して、それ自体として謎のまま聳え立っている。彼の人生を解き明かすことは、多分永遠にできないであろう。そして、そこに彼の最大の秘密があるのだ。」
 あるいは、われわれは難しく考えすぎているのかもしれません。

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