2018年1月6日土曜日

映画でスタリングラードの戦いを観て

 スターリングラードの戦いに関する映画を三本観ました。スターリングラードの戦いとは、独ソ戦争の一環であり、独ソ戦争は第二次世界大戦の一環です。1939年に第二次世界大戦が勃発したとき(ドイツ軍のポーランド侵入)、ドイツとソ連は不可侵条約を締結していたため、独ソが直接戦うことはありませんでした。しかし、ちょっと信じがたいことですが、ヒトラーはスラヴ人は劣等人種なので、スラヴ地域を征服し、この地域をドイツの生存圏としてスラヴ人を奴隷とするという、人種差別的な思想を持っていました。しただって、ヒトラーにとって東欧・ロシアへの侵略は既定路線であり、ソ連との戦争は「イデオロギーの戦争」「絶滅戦争」と位置づけられます。
1941622日、ドイツ軍を中心とした300万を超える枢軸国軍がソ連に侵入します。北方軍は瞬く間にレニングラードを包囲し、レニングラードは壊滅寸前まで追い詰められますが、最後まで耐え抜きます。この点については、「映画で世界大戦を観て レニングラード大攻防 1941(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/05/blog-post_21.html)を参照して下さい。中央軍はモスクワの一歩手前で、例年より早い冬の到来による降雪のため、進撃が止まってしまいました。南部軍はウクライナから石油資源の豊富なコーカサスに向かい、さらに一部がスターリングラードに向かいます。

 スターリングラードは、ヴォルガ川の下流にあり、革命以前にはボルゴグラードと呼ばれていました。ヴォルガ川には多くの支流があり、その支流の一つにモスクワがあります。そしてヴォルガ川は下流に入ったところで大きく曲がってカスピ海に流れ込みますが、この歪曲部分にボルガグラードがあり、そこはヨーロッパというよりアジアです。古くは、ユダヤ人国家ザールが栄え(「ハザール 謎の帝国」を読んで
http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/04/blog-post_26.html)、また13世紀以降に栄えたキプチャク・ハン国(ジュチ・ウルス)の首都サライはボルガグラードのすぐ南にあります。このジュチ・ウルスについては、映画「オルド 黄金の国の魔術師」を観て」
http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/03/blog-post_25.html)を参照して下さい。なお、ボルゴグラードは革命後にスターリングラードと改名されましたが、フルシチョフによるスターリン批判にともない、ボルゴグラードに戻されました。
スターリングラードは、地理的にみた場合、ロシア南部でヴォルガ川がドン川にむかって最も西側に屈曲した地点にあり、ここを抑えることはコーカサスや黒海・カスピ海からロシア中心部に至る、水陸双方にわたる複数の輸送路を遮断することにつながり、戦略的に重要な地点でした。しかしそれだけではなく、この都市は独裁者スターリンの名を冠していたため、スターリンからすれば絶対に奪われてはならない都市であり、ヒトラーからすれば絶対に奪わねばならない都市でした。このことのために、両者はこの町に必要以上の執着を抱き、それが大消耗戦を招くことになりました。
 なお、ここで紹介した三本の映画の内、実際にスターリングラードの攻防戦を描いているのは、最後の「スターリングラード」だけで、他の二本の映画はスターリングラードとは無関係です。

祖国のために
 1975年にソ連で制作された映画で、ソヴィエト文学の代表的な小説家とされるショーロホフの小説を映画化したものです。ショーロホフはドン川河畔のコサックの村に生まれ、コサックの自由な気風を愛し、大著「静かなドン」では社会主義化の進展によるコサック社会の変貌を描いています。この作品に対しては、政治的に中立的すぎるという批判がありましたが、それでもスターリン賞を受けています。その後も彼はドン川に関わる作品を多く発表し、この映画もドイツ軍に追われてドン川沿いに逃げるソ連兵たちが、やがてスターリングラードへと向かう姿が描かれています。
時は19427月です。レニングラードとモスクワはすでに前年中にドイツ軍に包囲されましたが、ドイツ軍はウクライナの制圧には手間取りました。スターリンの独裁下にあったソ連の人々の中には、ドイツ軍をスターリンからの解放者として歓迎した人々もいたとされます。したがって、ヒトラーはこういう人々を利用すればもっと容易に進撃できたはずですが、ヒトラーはスラヴ人を劣等民族として相手にせず、むしろ捕虜や住民に強制労働を課し、大量虐殺を行っていました。ドイツが戦争初期に捕らえたソ連兵の捕虜500万人はほとんど死亡しているのだそうです。こうした中で、決してスターリンを崇拝するわけではなく、またスターリンが言う国家主義的な愛国心をもつわけでもなく、ただ、郷土に対する愛、祖国に対する愛、そして敵に対する憎しみで戦っていました。
映画では、猛烈なドイツ軍の攻撃を前に、ソ連軍はひたすら後退するのですが、ただ後退するだけでなく、精一杯抵抗しながら後退していました。レニングラードやモスクワは前年の内にソ連軍に包囲されますが、スターリングラード攻防戦が始まるのは、この映画の前月の1942628日です。ただ、映画では、この激戦の中で農民兵たちは淡々と行動し、兵士や住民の心の通い合いが描かれているのみです。この小説も中立的すぎるという批判を受けましたが、それでも映画化されました。やはりこの物語には、人々の心を打ちものがあったのでしょう。最後にショーロホフは次のように述べます。
祖国への愛は心に留める
我々の心臓が動いている限り愛は心にある
しかし敵への憎しみは銃剣の先に宿らせる
 私はショーロホフについて何も知りませんが、これだけ政治的な中立を維持しつつ、スターリンの独裁体制を生き抜き、しかも第一級の作家として活躍してきたこの人物に強い関心を抱きました。

スターリングラード大進撃 ヒトラーの蒼き野望

2015年にロシアで制作された映画ですが、相当ひどい邦題です。映画では、スターリングラードのスの字も出てこないし、第一「ヒトラーの蒼き野望」というのは、どういう意味なのでしょうか。派手な邦題と派手な写真とは裏腹に、実際の映画は大変地味な内容の名画でした。
 映画の舞台は1942年の南部戦線で、前の「祖国のために」とほぼ同じです。ドイツ軍の電撃戦でソ連軍は大混乱に陥っていました。そうした中で、若い伝令将校だったオガルコフは、伝令の任務に失敗して軍事裁判で銃殺刑の宣告を受けます。かなり無茶苦茶な宣告でしたが、これを実行するためには本部の許可が必要でしたので、彼は本部に護送されることになります。護送役を命じられたのは下級兵士のズラバエフで、映画では囚人であるオガルコフとズラバエフの奇妙な道中が語られます。
 ズラバエフは義務に忠実な実直な兵卒でしたが、オガルコフは拘束されているわけではなく、逃げようと思えばいつでも逃げられたのですが、逃げませんでした。途中、色々な人に出会い、色々な事件に遭遇し、色々なことを語り合って、二人は心を通わせていきます。途中、ドイツ軍との戦闘に巻き込まれ、オガルコフにも武器を与えられ、兵士としてドイツ軍と戦います。その後再び本部に向けて出発し、その過程でドイツ軍に遭遇してズラバエフは戦死しますが、オガルコフは一人で本部に向かいます。何のために? そして、本部での判決の結果については何も語られることなく、突然画面は1945年のベルリンに飛び、ソ連軍の中にいるオガルコフが映し出され、映画は終わります。
 多分、オガルコフは無罪とされ、スターリングラードの戦いに参加し、ドイツ軍を追ってベルリンまで来たのでしょう。最終的にソ連軍はベルリンを占領しますので、多くのソ連兵がベルリンへの道を歩みました。この映画の原題である「ベルリンへの道」は、戦争中にソ連で作曲されたジャズのタイトルらしいのですが、死刑判決を受けるために本部に向かったオガルコフとズラバエブの奇妙な旅も、結局、長いベルリンへの道の一コマだったのではないでしょうか。厳しい戦いの中での、とても心温まる一コマでした。

スターリングラード(2013年版)

 2013年にロシアで制作された映画で、サブタイトルにあるように、スターリングラードでの「史上最大の市街戦」を描いたものです。前の二つの映画の邦題がスターリングラードの戦いをあげているのに、スターリングラードの戦いがまったく扱われていませんでしたが、この映画はスターリングラードの市街戦そのものを扱っています。ただし、三本の中では一番つまらない映画でした。
 1942628日、ドイツ軍はドン川流域に進軍し、ソ連軍は粛々とスターリングラードに後退します。スターリングラード攻防戦の始まりです。スターリングラードは、当時人口60万の近代的な工業都市となっており、823日、情報をまったく与えられていなかった市民は平穏な日曜の朝を過ごしていましたが、突然にドイツの爆撃機が攻撃を開始しました。これが150日にも及ぶ市街戦の開始です。スターリンが非戦闘員の退去を許可したのは28日になってからでしたので、この間にドイツ軍によるすさまじい虐殺と破壊が繰り広げられました。

 スターリングラードは瓦礫の山と化し、もはやドイツが得意とする戦車と装甲車による攻撃は困難となります。ドイツ軍は市街地の90パーセントを占領しますが、ソ連軍はヴォルガ川の対岸に拠点を置き、廃墟となった建物の陰に隠れたり地下を通ったりして、ドイツ兵を狙撃します。スターリングラードの戦いとは、こういう戦いでした。2001年版の映画「スターリングラード」(アメリカ、ドイツ、イギリス、アイルランド合作)では、ソ連軍の実在した一人の天才的なヴァシリ・ザイツェフという狙撃手(スパイナー)の悲哀を描いているそうで、私が観たかったのはこの映画だったのですが、間違えて別の映画を観てしまいました。
 こうした戦闘の間にソ連軍はスターリングラードの包囲を固め、ドイツ軍の補給路を断ち、本格的な反攻を開始しますが、これがこの映画の舞台となった時期です。そして結局、1943131日には、スターリングラード包囲されていた10万人ドイツ軍はソ連軍に降伏します。ドイツ軍および枢軸軍の死傷者は約85万人、ソ連赤軍のそれは約120万人とされています。また20万人の民間人が死亡したとみられ、攻防戦が終結したとき、スターリングラードの住民は1万人をきっていたそうです。
映画はいきなり、2011311日の東日本大震災から始まります。そして、瓦礫に埋まった女性を励ますため、なぜかロシアの救援隊員がスターリングラード攻防戦の話をし、彼の思い出話という形で映画が進められますが、いくら何でもこじつけすぎで無理があるように思います。また相当のお金をかけて廃墟のスターリングラードが作られていましたが、廃墟が立派すぎて現実感に欠けました。もちろん戦争映画で語られる人情話もありましたが、あまり感銘を受けるようなものでもありませんでした。ただ、スターリングラードの攻防戦とはこういうものだったのだ、ということを知ることができました。
 なお独ソ戦全体では、民間人の犠牲者も入れると、ソ連は20003000万人が死亡し、ドイツは約6001000万人だったそうです。これ以上言うべき言葉が見つかりません。

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