2018年1月17日水曜日

「新聞王伝説」を読んで

鹿島茂著 筑摩書房 1991年 副題「パリと世界を征服した男ジラルダン」
19世紀のフランスで、「長く続いた革命と戦乱の時代から解放された一般民衆の間では、活字にたいする激しい飢餓感が高まっていた」そうで、この飢餓感を満たそうとするのが新聞です。ヨーロッパでは、すでに17世紀に定期購読の新聞がありましたが、民衆が購入するには高価すぎました。
こうした時代にジラルダンは、各種新聞から面白そうな内容の記事を剽窃し、原稿料を節約することで格安の新聞を発売します。新聞の名は、まさにそのまま「ヴォルール(盗人)」です。もちろんこれは今日では盗作となりますが、当時はほとんど問題にされませんでした。記事の内容は1週間遅れとなりますが、当時の大衆の活字と情報への渇望を見事に汲み上げて、「ヴォルール」は大成功しました。その後もジラルダンは、広告を多く掲載することで、新聞の価格をさらに安くすることを可能にしました。
また、女性を対象にしたモード専用の新聞や、さらに新聞に連載小説を掲載するようになります。当時ユーゴーやバルザックのような高名な小説家が活躍していましたが、発行部数が少なくて作家の収入はわずかであり、また本が高価なため庶民にはなかなか手がでませんでした。つまり、19世紀前半には小説家という職業はまだ成立していませんでした。しかし新聞に連載されることにより作家は多くの原稿料を得ることができ、また庶民は気軽に小説を読むことができるようになったわけです。
ジラルダンは、当時の庶民や中産階級が何を求めているかを鋭く見抜き、次々と新しい企画を考えだし、ほぼ今日の新聞に近いものを生み出しており、それによって巨万の富を蓄えました。しかし、「それ以上にジラルダンの関心は、同時代の多くのユートピア社会主義者と同様に、社会の諸矛盾の除去に注がれていた。すなわち、彼の考えによれば、科学の発達によりひとたび物質的な進歩の過程に入ってしまった社会をより良い方向に導いていくには、何よりもまず、偏狭な宗教感情に左右されない実務的知識を身に着けた中層農民の育成と、都市部の商工業を担うリベラルな産業人の増加が不可欠な要因であるという。なぜなら、こうした中間層の生活レベルを引き上げるならば、その富はいずれ下層に循環し、下層民衆の生活も必然的に向上することになるからである。そしてこのブルジョワ予備軍の教育には、新聞ほどうってつけものはない。要するに、彼の頭にあったのは、いわゆる上部構造的な改革ではなく、下部構造的な改良に主力をおいた政策だったわけだ。」

要するに著者は、ジラルダンは単なる利益追求型の企業家ではなく、勃興しつつある新しい民衆を新聞を通じて教育し、社会を変革するという信念をもった人物だった、ということです。

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