2016年7月13日水曜日

「「他者」との遭遇」を読んで

 1992年、コロンブスによる「発見」500周年を記念して出版された「南北アメリカの500年」シリーズの第一巻で、歴史学研究会によって編纂されました(青木書店)。当時、500周年を記念した本が多数出版され、ここでも何冊か紹介しましたが、どれも「発見」という言葉の不当性を主張しており、この論点には少し飽きてきました。もちろんヨーロッパ人によるアメリカ大陸征服の不当性は言うまでもないことですが、当時のヨーロッパ人が突然未知なる他者と出会い、偏見をもって彼らに接した時の戸惑いは、今日の我々にも言えることだと思います。我々が今日未知なる他者と出会ったとき、偏見なしに彼らと接することは不可能であり、むしろ我々は歴史上で我々が犯してきた多くの誤りを学び、そうした誤りを繰り返さないように努力すべきではないかと思います。そしてこのことは、日常的に起きる個人と個人との出会いについても、言えるのではないと思います。
 本書は、この「発見」を「他者との遭遇」という観点で捉え、興味深い内容も含まれていました。そもそもスペインは、中南米の支配に当たり、先住民の労働力を必要としましたから、現地社会の温存を図り、そのため現地の共同体は今日まで残っていますが、北米に植民した清教徒にとって、先住民は打倒すべき異教徒でしたから、先住民の伝統はほとんど消滅してしまいました。また、ヨーロッパ人は最初先住民をどのように解釈してよいのか分からず、そもそも人間なのか獣なのかで議論となりました。この点については、ローマ教皇が先住民はアダムの子孫であると認定して、一応決着がつきました。
 一方、北米の先住民は、しばしば宣教師に、「あなた方はなぜ我々をインディアンと呼ぶのか」と尋ねました。もともと、この土地をインドと勘違いしたコロンブスが、先住民をインディオと呼んだことに始まり、その後ヨーロッパ人は、先住民を一括してインディオ・インディアンと呼ぶようになりました。しかし先住民の側からすれば、現地には多くの部族があり、それらはまったく別物でしたから、先住民にとっては一括して呼ばれることは不愉快だったでしょう。もっとも、この点についてはヨーロッパ人も同様で、ヨーロッパには多くの国がありましたが、彼らはアメリカ大陸で先住民をインディオと一括して呼ぶようになってから、自分たちを一括してヨーロッパ人と考えるようになりました。こうして、インディオとヨーロッパ人、野蛮と文明、異教徒とキリスト教徒という対立する構図が形成されていきました。
 また、北米で活動するイギリスやオランダの宣教師は、一様に先住民の男を怠惰とみなし、女は土を耕すが、男は狩りか釣りか戦争しかしないと報告しています。そのため、先住民社会について、怠惰な男と奴隷のように働く女というイメージが形成され、ヨーロッパで定着しました。どうしてこのようなイメージが形成されたのでしょうか。宣教師が先住民の村を訪れるのはほとんど夏で、狩りのシーズンは秋から冬であり、夏は農作業のシーズンで、農作業は女の仕事だったからです。また、ヨーロッパでは狩りは富裕者のスポーツであり、農業は男の仕事でしたから、このことが宣教師たちの誤ったイメージを生み出す原因となりました。

 偏見とは、このようにして生まれてくるものです。未知なる他者と遭遇した時、人は当然自分と比較して考えますが、決して安易に判断するのではなく、可能な限り客観的に、自己も他者も理解する努力が必要であることを、歴史は我々に語りかけています。

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